天岩戸内  左の道  広場

 

 

 

「もう片方の僕が・・・ 消えた・・・? そんな、バカな・・・・っ!?」

 だって、そんな筈がない。

 僕以外で、入り口以外から入るには、同じ様に【空間転移】をするぐらいしか・・・

 

 いや、待って。まさか・・・

 

「実体を持たないまま、霊道を通った・・・? だとしたら、そんな事が出来るのは・・・ でも、あり得ない。そんな可能性・・・っ!!」

 目に見えてうろたえる、タオシーの形代。

 

 そこに

 

「あ゛〜。ギャーギャーうるせーなぁ」

 背後から、男の声。

 

「っっ!!?」

 慌てて振り向くタオシー。

 

 背後には、頭に一角の角を生やした、平安服の野性的な青年が立っていた。

 青年は体全体が淡く発光しており、右手には、強大な霊力が集めている。それは電気の様にバチバチと音を立てていた。

 

「あなたは・・・っ!? ウソだ・・・っ!!! そんなワケ・・・っ!!」

 目の前に現れた青年の存在、突如浮き出たイレギュラー中のイレギュラーを、全力で否定する。

 

「うっせーよ。俺の大切な人達に下らねえマネしやがって。

・・・さっさと消えろ。偽者ヤロー・・・!!」

  青年は、右手を突き出した。

 

(ゴォッ・・・!!!)

 

 放射される、常識を超えた威力の霊力波。

 それは、目も眩むほどの光を放ち、洞窟内をまばゆい光で包んだ。

 

「っっ────!!?」

 タオシーは咄嗟に身構えた。

しかし、防御しようにも、形代程度の霊力では、その圧倒的な力の前では紙屑でしかない。

 

(バシュッ────・・・ッッ!!)

 

 光の奔流に包まれ、一瞬で、タオシーの最後の形代は、消滅した。

 

 

 

「・・・よし」

 青年は、木偶ノ坊の方へと駆け寄った。

 

「おい、木偶ノ坊。起きろ、起きろって」

 うつ伏せ状態の木偶ノ坊を強く揺さぶる青年。

 しかし

 

「う、う〜む・・・ 亜衣様・・・ それだけは・・・」

 木偶ノ坊は、全くもって起きようとする気配を見せず、幻夢に魘(うな)されている。

 

「あー・・・ そうだった。ちょっとやそっとの刺激じゃ起きないんだった。

 ・・・それも幻夢だもんな。・・・はぁ」

  青年は溜息を一回吐く。

 

「よい・・・しょっ・・・!!」

 青年は、木偶ノ坊の片腕を掴んで、まず仰向けにひっくり返す作戦に出た。

 麻衣よりもずっと重い木偶ノ坊は、ひっくり返すだけでも一苦労である。

 

「ふんぬ・・・っ!! ぐぎぎぎぎぎぎ・・・っっ!!!!」

 やっとこさ、青年は木偶ノ坊を仰向けにひっくり返すことに成功した。

 

(ドスッ・・・!!)

 

 そして、青年は木偶ノ坊の腹の上にぴょいと、慣れた感じで、子供のような仕草で乗っかった。

 

 子供なら軽いものだろうが、18歳の青年にやられると、鍛えていてもちょっとした衝撃である。

 

「ぐっ・・・!!」

 一瞬呻き声を出すものの、それでも木偶ノ坊は起きる気配を見せない。

 

「す────・・・・・・」

青年はマウントポジションで、息を吸い込んで気合を入れた。

 

「起きろっ!!! 起きろ──────っっ!!!!!」

 

(パァンッ! パァンッ! パァンッ! パァンッ!!)

 

 一切の手加減のない、往復ビンタが木偶ノ坊の頬に炸裂し、洞窟内に、気持ちいいぐらい乾いた音が響く。

 

「む・・・ むむ・・・っ!?」

 それによって、ようやく木偶ノ坊の瞼が開き始めた。

 

(パァンッッ!!!!)

 そして止めの渾身の一発。

それにより木偶ノ坊は、完全に目を覚ました。

 

 

 

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 目を覚ました木偶ノ坊と、謎の青年は、少しの間互いに無言だった。

 

 目を開けた所にいきなり、角を生やした平安服、束帯(そくたい)の、緑髪の青年。

 普通なら、第一声は【誰だ!?】だろう。

 

 しかし

 

「若・・・?」

 

 木偶ノ坊は、なんと一目でその人物を、鬼麿と判別した。

 

「・・・っ!!」

 目を見開いて驚く、青年姿の鬼麿。

 

「鬼麿様・・・ 鬼麿様ぞなもしかっ!!? なんと・・・ 何故こんなお姿でここに・・・ いや、それにしても、ご立派な・・・!!」

 上半身だけ起き上がらせ、目と鼻の先まで顔を近づけて、鬼麿の顔をまじまじと見つめた。

 実際、青年姿の鬼麿の姿は、木偶ノ坊が立派と謳うも無理もないほどに良い成長をしていた。

 

 髪型と口調こそ野性的だが、その容貌は品性の高い美を備えており、

束帯の着こなしも完璧で、少年の鬼麿にはなかった【高貴さ】も兼ね備えている。

 

 

「・・・立派なんかじゃ、ねえよ。俺は・・・」

 鬼麿は、気まずそうに目を逸らし、木偶ノ坊の上から降りて立ち上がった。

 

「若・・・?」

 木偶ノ坊もまた、そんな鬼麿の様子に疑問を浮かべながら、立ち上がった。

 

 立って並んでみると、鬼麿の伸びた背に、木偶ノ坊は嬉しいやら奇妙やら、分からない感覚になった。

 もちろん、2メートルを超える木偶ノ坊から比べれば、172センチ前後ちょいはまだまだチビである。

 しかし、木偶ノ坊の胸の位置に鬼麿の姿が見えているといるのは、なんとも感無量であった。

 

「しかし若、どうしてこのような所へ? それに、そのお姿は・・・」

「ああ・・・ うん。話したら長くなるんだけどさ・・・」

 子供の鬼麿の口調とはかけ離れた、活発な青年らしい言葉遣いで、語り始めた。

 

 

 

鬼麿の中には、淫魔大王の血と、天神道真の血が、強い先祖帰りを起こして存在している。

今木偶ノ坊の目の前にいるのは、その中の【天神】の部分と、天神暦の本来の年齢、18歳の鬼麿が合わさったものらしい。

 

 鬼麿が一度淫魔大王になり、そしてその淫魔大王が消滅したことで、鬼麿の天神の部分は一気に覚醒した。

 

 しかし、それが表に出る際には、強大な霊力と妖力を放出し、意識から外界への【路】(みち)を作らなければならなかった。

 天神の霊力と、淫魔大王の妖力。それを一編に放出するという事は、周辺一帯を焦土に変えてしまう事に他ならない。

 だから青年の鬼麿は、亜衣を助けに行きたい気持ちを抑え、覚醒後も鬼麿の意識の中で、ただひたすら、じっと耐えていた。

 

 それが、こうして今復活に至ったのは、安倍の指導者、桔梗姫の懸命な努力の結果である。

 

 車に乗せられている中、眠っている自分に対して瀬馬は安倍や逢魔の様々な事を語っていた。

 大概は自分の過去の長い長い自慢話だったが、その中に、桔梗姫についての話があった。

 

 安倍の歴史上、類を見ない強大な霊力の持ち主。

 過去には、淫魔の手によって切断された龍脈を、たった一人で繋いだ事もあるほどで、その霊力には底がない。

 そして同時に、結界術におけるエキスパートでもあり、相対した淫魔は全て無傷のまま捕縛結界に封じられ、また、どのような敵の攻撃にも、桔梗姫の張った結界は破られたことがない、と。

 

 そういった話を聞き、そして、京都は新平安京に運ばれ、実際に桔梗姫の姿を意識の中から確認した時、青年の鬼麿は賭けに出た。

 

 桔梗姫の、その結界の力に賭けたのだ。

 青年の鬼麿は、子供の鬼麿が眠っている間に、その力を放出した。

 何も知らない桔梗姫は、必死に、全力を込めて懸命に、結界でその力の放出を抑えた。

 

 結果。桔梗姫は、青年の鬼麿の思念が、この世界に現界するまでの路を開くまで、力の放出を抑えきってくれた。

 そうして今、青年の鬼麿はここにいる。

 【陽神(ようしん)の術】により、霊力で編み上げた仮の肉体で、霊道(れいどう)を通り、驚くほど短時間で。

 

 

 

「・・・つまり、若は・・・ 我等を助ける為に・・・?」

「・・・・・・ん」

 元気なく答える鬼麿。

 

「〜〜〜〜〜〜・・・・・・っ」

 木偶ノ坊は感激に身を撃ち震わせていた。

 よもや、自分が逆に鬼麿様に助けられる日が来るなど、考えてもいなかったのだから無理もない。

 

「鬼麿様・・・っ!! この木偶ノ坊。この日の感動を一生忘れませぬぞなもし・・・っ!!」

 鬼麿の手を握り、ぶんぶんと上下に振って感激を表現する木偶ノ坊。

 

「・・・・・・・・・」

 鬼麿は、横に俯いたまま、居た堪れない顔で黙っている。

 

「若・・・? どうなさいましたぞな? ど、どこか、お痛くなられましたのでは・・・?」

 つい、木偶ノ坊は目の前の鬼麿に子供的な扱いをしてしまう。

 

 

「・・・子供の俺はわかってねーけどさ。大人の俺は・・・ 全部覚えてるんだ」

 重い口取りで、そう、横を向いたまま一言。

 

「・・・? 何を、でございましょう?」

 何のことか分からない木偶ノ坊は、青年の鬼麿に聞いた。

 

 

「木偶ノ坊。俺のせいで、一度・・・ 死んじまったよな・・・」

 そう言った鬼麿の声は、震えていた。

 左肩を掴んでいる右手は、腕の肉を巻き込むほどに強く握られ、布は引き絞られている。

 鬼麿は・・・ 苦しんでいるのだ。

 

「・・・っっ!!!」

 木偶ノ坊も、その言葉に驚愕し、言葉を失う。

 

「鬼麿様・・・ それは・・・っ!!」

 何ということか、この方は・・・ 18の精神の鬼麿様は、淫魔大王の時の記憶まで・・・?

 木偶ノ坊には分かる。18の精神とはいえ、目の前の鬼麿様は子供の時と同じ、優しい目をしている。

 破天荒で我侭ではあったが、昔から鬼麿様は、小さな命にも慈しみを持つ優しい心があった。

 

 そんな鬼麿様が、淫魔大王の時に行ってしまった凶行、非道を、覚えているというのか。

 そんな・・・ そんな事があるというなら、なんと無常、そして無情な現実なのか。

 

 優しき鬼麿様の心に、あの一連の記憶・・・ 耐えられる筈がない。

 

 

「亜衣も、麻衣も、俺のせいで犯されて・・・ 亜衣が淫魔になっちまったのも、俺・・・ 知ってる」

 青年の鬼麿は、体を小刻みに震わせて、

 

「それは・・・っ!! 鬼麿様のせいでは・・・ 鬼麿様が望んだ事ではございませぬぞな!!!

 某が・・・ ひとえに、某の不甲斐なさが起こしてしまい申した事にござる!!!! 鬼麿様は、巻き込まれ利用されただけ、そのように・・・!!!

 そのように、ご自分だけを責めてはなりませぬ!!!」

  木偶ノ坊は、鬼麿の肩を掴み、涙を流しながら、必死に諭した。

 

「でも・・・ 子守集のみんなを殺したのは・・・ 俺、だよな・・・?」

「・・・っ!!!」

 しかしそんな木偶ノ坊も、鬼麿のその言葉に、すぐには言葉を返せなかった。

 

 そう、確かに・・・ 鬼麿様が変じた淫魔大王は、攫われた子守集の皆を、時平に誘われるまま犯し、殺した。

 その様子を、木偶ノ坊は確かに見ていた。・・・否、見ていることしか、その時の木偶ノ坊には出来なかった。

 

 

「綾さんや、真由さん・・・ 良枝さん・・・ 子守集のみんなを、犯して・・・ 殺したことも、その時のみんなの顔も、最後の声も、全部・・・

 全部覚えてるんだ。俺が・・・ 俺の触手で、貫いて・・・ それで、みんな・・・ 血を流して・・・ 動かなく、なって・・・」

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

   (回想)

   

   天津神社  食卓部屋

 

 それは、日常の些細な一時。

 天津神社が健在で、鬼麿も、子守集の皆も平穏な時間を送っていた頃。

 

 

「う〜〜む。今日のメシも美味いの〜〜!! おお、沢庵(たくあん)も魚も絶品じゃぞ〜〜!!!」

 天津神社の面々は、皆一つの部屋で食事をとっていた。

 ただ、幻舟だけが、行事の支度により席を外していたが、それ以外はほぼ全員である。

 小さき鬼麿は、いつものようにガツガツと下品に、御飯の粒や魚の肉片などを食べ散らかしていた。

 

「ちょっ・・・ コラァっ!! 汚いでしょっっ!!!

 そんな鬼麿を、頭ごなしに叱る亜衣。

 

うわぁ〜〜!!? 木偶ノ坊〜〜〜!! 亜衣が怖いぃ〜〜〜〜っ!!!」

 鬼麿はそれに怯え、隣の木偶ノ坊にしがみついた。

 

「ハ、ハハ・・・」

 木偶ノ坊は困った顔で、亜衣と鬼麿の顔を交互にチラチラ見ている。

 

「亜衣の顔が般若じゃ〜〜!! マロが食べられてしまいそうじゃ〜〜〜!!」

「なっ・・・ ハンッ・・・ 般若!?」

 思わず絶句する亜衣。

 

「お姉ちゃ〜〜〜ん。食事中にそんなに怒るのはやめようよ〜。鬼麿様は子供なんだし・・・ね?」

 亜衣の隣の麻衣は、困った笑顔で、後ろから姉を制した。

 

「・・・・・・・・・ はぁ・・・」

 亜衣もアホらしくなったのか、脱力しながらため息を一つ。

 

(ガラッ・・・)

 

「あら?」

 そこに障子を開けてやって来たのは、その日の食事当番だった、子守集の最年長、綾だった。

 

「あっ・・・」

「綾さん・・・」

 綾の入場に、当人でもないのに気まずく感じる姉妹。

 鬼麿がそこらに豪快に食べ溢しているものは、全て綾が作ったものである。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 その場にいる、亜衣、麻衣、木偶ノ坊、鬼麿、そして他の子守集たちも、全員箸の動きを止め、静止していた。

 綾という人物は、この天津神社の中で、年齢やこの神社での勤めの長さからも、実は幻舟の次に発言力があったりする。

 綾自身は決して、亜衣にも麻衣にも誰にも、怒った事など一度もない。

 それでも、いや、だからこそか。幻舟を除いて、綾さんに頭が上がる人はいないのだ。

 

 

 

「あらあら、鬼麿様。ダメですよ。食べ物をこんなに溢(こぼ)しては。勿体ないじゃあないですか」

 部屋に入って早々、鬼麿の食べ溢しを発見した途端。

綾は床に落ちている鬼麿の食べかすを、素手で拾い集めた。

 

 白魚のような、という古風な表現が似合う、奇麗な右手の指で躊躇無く拾い、左手を器にして拾い集める。

 いくら自分が作った食材とはいえ、いくら鬼麿が子供とはいえ、これは誰にでも出来ることではない。

 

「・・・・・・む・・・」

 子供ながらに、鬼麿はそんな綾の行動に、気まずさとむず痒さと、恥ずかしさを覚えた。

 

「さすがにこれは食べて下さいとは言えないので、私が堆肥にして処分しておきますね。でも・・・」

 

「鬼麿様? 木偶ノ坊さんと山中で魚を獲っていらしたのなら、おわかりになっていらっしゃるとは思いますが・・・

私たちが口に入れる全てのものは、全てが例外なく、生きものなんですよ? 私達は、肉や魚、草に至るまで、自然の恵みを頂いて生きているんです」

 

「・・・む? うむ〜・・・」

 亜衣の言うことも、麻衣の言うこともまず聞かないやんちゃな鬼麿も、

綾の優しい口調に怒られている感覚も、説教をされている感覚も感じないからか、反抗しようという気がまるで沸かなかった。

 

「魚さんもお野菜さんも、食べてもらうからには、奇麗に食べて欲しいと思います。自分がお魚さんだったとしたら、食べ残されるよりは、せめて食べてくれる人の栄養や力になりたいじゃないですか」

 綾の言葉には、鬼麿を咎めようという気持ちは一切見当たらない。

 ただ、綾自身が思っていることを、世間話のように鬼麿に話し、共感を得てくれたら嬉しいと、そんな顔をしている。

 

「むう〜・・・」

 鬼麿は完全に綾の空気に呑まれ、

 

「約束して下さいますか? 食べれるものは、残さず奇麗に食べてくれるって」

 綾は、鬼麿に右手の小指を差し出した。

 そして、トドメに

 

「私も、鬼麿様が奇麗に食べて下さったら・・・ そうですね。当番じゃない日も毎日、美味しいデザートを作ると約束します」

 そう一言。

 

「なにっ!? ホントか!!?」

 綾の出した条件に、甘味大好きな子供はすぐさま食らい付いた。

 今日の食事もそうだが、綾の作る料理は絶品で、これも誰も勝てる人間がいない。

 そんな綾が作る甘味とあれば、飛びつかない子供はおかしいだろう。

 

「はい」

「お汁粉とか、みたらし団子とか、葛切り餅とか作ってくれるのかっっ!!!?」

 鬼麿のチョイスは、どれもこれも和風且つ古風で、お爺さん臭かった。

 

「・・・はい」

 クスッ と、一回苦笑して、綾は頷いた。

 

「・・・うむっ! わかったっ!!」

鬼麿は元気よく、綾の白く奇麗な右手の指に自分の小さな小指を絡め、ぶんぶんと元気よく振る。

 

「指きりげんまん、うっそついたら♪」

「針千本、飲〜〜〜〜ます・・・♪」

 

「「指切った♪」」

 鬼麿と綾の二重奏で、指きりの約束は、交わされた。

 

「約束を破ってはいかんぞ〜〜? 楽しみにしとるんじゃから」

「わかってます。約束は絶対破りません」

 綾の菩薩のような笑顔に、嘘はない。

 

「あ・・・ でも、今日は散らかしてしまったから、綾の甘味は食えんの〜〜・・・」

 その事実に気付いた鬼麿は、少し残念そうに、しゅんとなる。

 

「・・・でも、明日からは気をつけて食べてくださるんでしょう?」

「うむっ! うむっ!! 絶対散らかさんぞっ!?」

 首を勢いよく何度も縦に振る鬼麿。

 

「それじゃあ、今日は特別に・・・」

 綾は、自分の後ろに隠し持っていた小皿を取り出した。

 

「おっ!? おおお〜〜〜っ!!!? なんじゃこれは〜〜〜〜!!!!??」

 四角の鮮やかな色合いの小皿に乗っていたのは、鬼麿が見たこともないようなお菓子だった。

 皿の上の四角形の寒天は透明で、点々と残る粉砂糖が、まるでその四角の世界に降る舞雪の様で、

更に白色の皿が、雪に覆われた大地を連想させ、なんとも情緒的な美しさを魅せる。

 

 しかし更に目を引いたのは、その寒天の中に居るもの。

 

 雪舞う冬の世界の中には、兎が居た。

 四角の寒天の中に、赤い円らな目をした長い耳の兎が、雪道を跳ねる形でそこに居た。

 小さな兎が、合計三羽。ぴょんと跳ねようと後ろ足を伸ばした形のもの。空中で体を伸ばした形のもの。そして、前足で着地したばかりの形のもの。

 

 それらは、どれも当然菓子なのだから動かない。

しかし、見る側にとっては、今にも本当に動き出しそうな、それだけの躍動感に溢れていた、生きた兎だった。

 

 

「すごい・・・」

「かわいい〜〜〜っ!!」

 亜衣、麻衣も、その菓子に驚かされた。

 他の巫女達も、ザワザワと驚嘆し、その菓子に釘付けになって覗いた。

 

 

「これは、私と鬼麿様の約束の記念として・・・。雪兎錦玉(せつときんぎょく)と言って、私が、私の祖母に習った秘伝の味なんですよ」

 綾の実家は老舗の和菓子屋で、綾自身も、料理、こと和菓子に関しては入念に鍛えられている。

 その内一つが、店に代々伝わる秘伝の菓子、白兎錦玉だった。

 

 砂糖を極端に少なくした錦玉羹(きんぎょくかん)に、わざと点々と砂糖が残って映るように工夫し、

 その中に淡雪(あわゆき)で作り、食紅で色を付けた白兎を閉じ込めることで、雪世界を元気に駆ける、生きた兎を描いている。

 

 和菓子の中には、他にも鉢の中を泳ぐ金魚を模したものなど、芸術と言える美しい匠の菓子も多々存在するが、鬼麿の目の前にある白兎錦玉も、正しくそれの最たるものだろう。

 

「これ・・・ 食べても良いのか?」

 菓子というよりは、まるで工芸品のようなそれに、そして生きているような可愛い兎に。鬼麿も楊枝を刺すのを躊躇する。

 

「ええ、その為に作りましたから。どうぞ」

 笑顔で差し出す綾。鬼麿はその皿を受け取る。

 

「う、うむぅ〜〜・・・」

 眉をくねらせ、楊枝をなかなか刺せないでいる鬼麿。

 

「なあ、これ・・・ 食べんで飾っておいた方がよいのではないか?」

 鬼麿の考えも無理もない。目の前の菓子は、その場にいる誰もがそう思ってしまうほど奇麗なのだから。

 

「これはあくまでお菓子ですから。飾っておいてもすぐ痛んでしまいますし、奇麗な内に食べてあげて下さい」

「しかしの〜〜・・・ この兎なんか生きてるみたいで、なんか食うのが可哀想じゃの〜〜〜・・・」

 鬼麿の言葉に、綾はクスリと笑い

 

「鬼麿様はお優しいですね。でも・・・ 今日鬼麿様がお食べになられていたお魚も、かつては川を元気に泳いでいましたでしょうし、お野菜だって太陽を浴びて毎日グングン成長していたと思います。この兎と、何も変わらないんですよ?」

 

「・・・・・・なるほど。そうなのか・・・ そうじゃの〜・・・」

「食べるのが可哀想、というのではなく。食べることが出来ることに感謝しましょう。

 それなら、この兎も、今日の魚も、きっと嬉しいと思います。

 

 ・・・なんて、小さい頃の私が、祖母に言われた事の受け売りなんですけどね」

 

「なぬ!? 綾も小さい頃は食べ溢しておったのか!!?」

 驚く鬼麿。

 

「ええ、私が鬼麿様ぐらいだったときも、同じ様に食べ溢してました」

 鬼麿だけでなく、その場にいた皆が驚いた。

 確かに人間生まれたときは皆赤ん坊だし、食べ散らかしていた頃も勿論ある。

 しかし、大和撫子の見本のような綾さんだけは、そんなイメージが全然浮かばないのだ。

 

                                                           

 

「・・・・・・・・・」

 ああ、なるほど。と

 向こうから見ていた亜衣は急に納得した。

 

 今の綾さんだと想像は全く出来ないが、多分・・・

綾さんもまた、小さい頃、食べ散らかしていた時に、そのおばあさんから同じ様に、あの雪兎錦玉を差し出されたんだ。

それで、鬼麿と同じ様に【可愛いから食べれない】と言い、そしておばあさんは綾さんと同じ様に【魚も野菜も同じだ】と言ったのだろう。

 

 そんな家庭で綾さんは育ち、今ではああして、鬼麿様に対して、かつてのおばあさんと同じ様に、その時の思いを伝えている・・・

 

「・・・・・・・・・」

 亜衣は、なんだかとても感慨深いというか、染み入ったものを感じ、和やかな気分になった。

 

 

 

 

「で、では、食うぞ・・・」

 皿の上に乗っている楊枝を掴み、中の兎を切らないように切り分け、そして

パクン と一口。

 

「・・・・・・・・・」

 無言で口をモゴモゴ動かしている鬼麿に、その場の皆が釘付けになる。

 

 そして

 

「う、う、うまぁぁ〜〜〜〜いぞ〜〜〜〜っっ!!!」

 あまりの美味さに、鬼麿は大きく叫んだ。

 甘さを控えた四角の寒天は、すっきり、あっさりとした甘味と、寒天の独特の食感がたまらなく。

 淡雪で出来た兎は、逆に口に入れた途端、舌の上でとろけ、口中に柚子の果汁が混ざった強めの甘味が広がる。

味においても、その菓子は素晴らしい芸術だった。

 

 思わず二口、三口と続けて呼ばれてしまい、気が付くと、もう皿の上は奇麗さっぱりと無くなっていた。

 

「すごく美味かったっ!! チソウサマじゃ」

「はい、お粗末さまでした」

「また作ってくれ!!」

 天使のような、純粋で元気な笑顔で、鬼麿は綾にそう言う。

 

「では、この日を記念日にして、来年のこの日に」

「ええ〜〜!? 来年まで作ってくれぬのか〜〜〜!!?」

 すごく残念そうな顔をする鬼麿。

 

「秘伝ですから。作るのにとても手間がかかりますし、それに・・・ たまに見るからこそ感動があると思います。 ・・・ね?」

 菩薩の笑顔を向ける綾。

 

「そんなもんかのう・・・」

「その代わり明日は、鬼麿様の好きな小豆の羊羹(ようかん)をお作り差し上げます」

「なんと! 本当か!!?」

 鬼麿は身を乗り出した。

 

「はい。・・・でも、もし明日もお散らかしのようでしたら、お出ししませんよ?」

「うわ〜! それは嫌じゃ〜〜っ!! 絶対散らかさんから作ってくれぇ〜〜〜!!!」

 綾の裾を引っ張り、鬼麿は必死に頼み込む。

 

「はいはい、わかりました」

 鬼麿の必死さを微笑ましく思い。 クス と笑う綾。

 

 

 

「綾さんって、やっぱりお母さんみたいね・・・」

 と呟く亜衣。

 そう、確かに、前々から綾さんは、母性に溢れた女の人だった。

 亜衣も麻衣も、綾さんには服の解(ほつ)れを直してもらったり、試験前の勉強週間には、眠気が取れて集中力が高まるように考えた、軽い夜食を作ってくれたりもした。

 

 物心つくより前に母を失った二人にとって唯一の親は、大叔母である幻舟のみ。

 しかし、母性が強く、よく世話をしてくれる綾さんにも、【母】を感じることは少なくなかった。

 

 随分前に、綾さんを呼ぶ時に何を間違えたのか、綾さんを【お母さん】と呼んでしまい、大恥をかいた思い出がある。

 亜衣は思わず顔を真っ赤にしてしまったが、そんな亜衣に、綾さんは無言で頭を撫でてくれた。

 

「いいなぁ〜・・・」

 ぼそりと、亜衣の隣でそう洩らす麻衣。

 

「そうね、ああやって素直に甘えられる鬼麿様がちょっと羨ましいかも・・・」

 と、亜衣が頷いた所で

 

「私も、綾さんの作ったデザート食べたい・・・」

 

(ズザ────ッッ!!!!)

 

 麻衣の天然ボケに、亜衣は思わずズッコケた。

 

麻衣は、見事に視点が鬼麿と一緒だったのだ。

 目を見ると、本気で、すごく・・・ 猛烈に食べたそうにしている。

 

「・・・麻衣ちゃんも、作って欲しい?」

 麻衣の表情に気付いた綾さんは、苦笑しながらそう聞いた。

 

「えっ!? いいんですか?」

 鬼麿と同じ様に目を輝かせる麻衣。

 

「一人用も二人用も一緒だから。それに・・・ 私も皆に食べて貰った方が嬉しいわ」

「やったぁ!!」

 子供っぽく、両手を挙げて喜ぶ麻衣。

 

「麻衣も好きじゃの〜っ」

「いえいえ、お代官様には叶いませんよ〜〜」

 互いに笑い合い、賑やかになる両者。

 

「・・・あんた、ねえ・・・」

 顔を押さえて盛大にため息をつく亜衣。

 

「亜衣ちゃんは、どう?」

 綾は、なんと亜衣にまで聞いて来た。

 

「え゛・・・・・・??」

 いや、確かに私も一人の女の子だから、お菓子とか甘味とかは好きだけど、この空気で私もなんていうのは恥ずかしいというか・・・

 

「・・・・・・・・・」

 綾さんは、そんなこっちの考えを見透かしているのかいないのか、ニコニコした目でこっちを見ている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お願いします

 亜衣は、最終的にちょっと小さな声で、軽く顔を紅くしながらお願いした。

 食卓

 

 

今となっては貴重な、平和だった時の記憶・・・・・・

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 青年姿の鬼麿は、握り拳から立てた、自分の右手の小指を見つめていた。

 もう、これに指を絡めてくれた人は、いない。

 もう綾さんは、自分に羊羹を作ってはくれない。

 

・・・自分が、殺したから。

 

「・・・っ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ 〜〜〜〜〜〜」

 その指を握り締めて、鬼麿は泣いた。顔をくしゃくしゃにして。

 力無いその嗚咽は、声ですらなく、音だった。

 心が押しつぶされそうになり、軋む音。それが鬼麿の口から漏れているような、そんな音・・・

 

「若・・・」

 その姿は、痛々しいという言葉では、余りにも軽々しい。

 人が心の苦しみで死ぬことがあるなら、それは今の鬼麿の苦しみがそれではないか

 そう思うぐらい、鬼麿の泣き顔は、見ていて心苦しかった。

 

(ギュウッ・・・・・・!!)

 

 木偶ノ坊は、鬼麿を強く、正面から抱きしめた。

 そしていつものクセで、鬼麿のフサフサした髪を、ワシャワシャと撫でる。

 何かに怖がった時、こうして抱きしめ、頭を撫でると、鬼麿は落ち着いていた。

 

 怖い夢を見た時、初めて熊を見た時、色々・・・

 

 それで、鬼麿はなんとか、すすり泣き程度に落ち着くことは出来た。

 

「俺・・・ 淫魔大王になってた時もさ、木偶ノ坊の声・・・ 聞こえてたんだよ。だから必死に出ようとしたんだ」

「・・・はい」

「でも・・・ どんなに必死になっても出れなかったっ・・・!! あんなこと、したくなかったのに・・・!!!」

「わかっております。最後には、鬼麿様は時平を捕まえ、我らを助けてくれたではありませぬか」

 優しい声で、木偶ノ坊は鬼麿を宥める。

 

「でも・・・ 俺・・・ 俺・・・ どうすりゃいいのかな・・・? どうしたら、皆許してくれるかな・・・?

 なんで俺、あんな酷いことばかりして、みんな不幸にしちまって・・・ それで、それで何で、俺・・・ まだ生きてんのかな・・・?」

  木偶ノ坊の胸の中で、青年姿の鬼麿は、子供のように泣きじゃくり、ボロボロと涙を流し続ける。

 

「・・・・・・・・・」

 ・・・この世は、なんと不条理で、非情なのか。

 何故、鬼麿様のような優しいお方が、このような過酷な運命を生きなければ、このような辛すぎる業を背負わねばならぬというのか。

 淫魔の魔王の血を持って生まれてきたことが、罪だとでもいうのか。生きてきてはいけなかったとでも言うのか。

 

 ・・・しかし、しかし、わかってはいる。

淫魔大王もまた鬼麿様である限り、綾、良枝、真由を犯し殺したその事実は、淫魔大王が死したからといって完全に赦される訳ではない。

鬼麿様も、望んでいるのは、罪からの逃避ではない。

 

ならば・・・

 

 

「若っっ!!!」

 鬼麿の肩を掴み、正面に鬼麿の眼を見る木偶ノ坊。

 

「我らは、確かに罪人でありましょう。もし過去に戻れ申したなら、或いは綾様や他の皆様を救うことは出来たやも知れませぬ。

 しかし・・・ しかし我らは神ではございませぬ!! 人の身である限り、現在を生きねばなりません!!

 鬼麿様は、我らを助ける為に単身このような所まで参ったのでございましょう!!? ならば・・・ 共に救いましょう!!

 亜衣様をお助けし、それからは綾様、真由様、良枝様、幻舟様達の分まで、残った我らは懸命に生きましょうぞ!!!」

  木偶ノ坊は、魂の底からの言葉を、鬼麿にぶつけた。

 

「木偶ノ坊・・・」

 涙に濡れた瞳で、木偶ノ坊を見つめる鬼麿。

 

「・・・それが、我らの定め。残されし者の使命であるなら、共に懸命に生きましょう。

そして、我らのせいで命散らせてしまった皆より、何倍もの人達をお救いするのです。それしか・・・ 我らが許される事はございますまい!!

 ・・・この木偶ノ坊。どこまでも付いて行きますぞっ!!!」

  木偶ノ坊は、左手で自分の胸をドンと叩き、鬼麿の右手の小指に、自分の指をぎゅうと結んだ。

 

「あ・・・」

 木偶ノ坊の小指は、大きく、ゴツゴツしていて、綾さんの指とは正反対だった。

 

 ・・・でも

 

 青年姿となって、それなりに大きくなった自分の指さえ、木偶ノ坊の太く大きな指は完全に包み込んでいる。

 ・・・それは、なんと暖かくて、頼もしいのか。

 

「暖かい、な・・・」

 はにかんだ笑顔で、ぽそりと呟く鬼麿。

 

「は?」

 聞き取れなかった木偶ノ坊。

 

「あ、いや・・・ なんでもねー・・・」

 なんとなく照れくさくて、鬼麿は一旦そっぽを向いた。

 

 

 

「・・・あの、さ・・・ もう一つ、約束してくれねーかな?」

 なんだか言いづらそうに、鬼麿は尋ねた。

 

「水臭いですなぁ、若。何なりとお申し付け下さいませ」

「じゃあ、あの・・・ 二度と、俺より先にどこか行ったり、死んだり・・・ しないでくれ って」

 

「・・・ええ、ええ。某は、決して死にはしませぬ!! 決して鬼麿様の側は離れませんぞ!!」

 グッ! と、木偶ノ坊はより強く小指に力を入れた。

 鬼麿は、やっとその顔を、嬉しさの笑みに変える。

 

「すまね・・・ あ、いや・・・」

 鬼麿は、一旦口ごもり

 

「・・・ありがとうな。木偶ノ坊。・・・いつも守ってくれて。その・・・ すごく、感謝してる」

 鬼麿は、顔を赤くして、普段言う事の出来ない感謝の言葉を述べた。

 

「・・・!!! わ、わ、わっ・・・」

 木偶ノ坊は感激に、地面が振動しそうなほどに震えて

 

「若ああああぁっっっ────────────!!!!!!!」

(ギィリリリリリリリ────────────ッッ!!!!!)

 

「うげげっ────!!?」

 感激のまま、手加減なしの木偶ノ坊の抱きつき、抱き締めは、言ってみれば関取の鯖折りである。

 

「若っっ!! この木偶ノ坊、命ある限りぃぃぃ────────────っっ!!!!」

「あでででででででっ!!!? お、折れる折れる!! 背骨が折れる────っっ!!!!???」

 木偶ノ坊の殺人ハグに、じたばたと暴れる鬼麿。

 

 洞窟内に、長い間。

 青年鬼麿の悲鳴が響いた。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

    一方

 

   天岩戸付近  岩場

 

「ふぅむ・・・・・・」

 そこで、何もない空間を見つめながら唸るカーマ。

 

「どう?」

 岩場に座っている悪衣は、足をプラプラさせながら進行状況を聞いた。

 

「ダメだな。タオシーの奴め、道を残してすらいない。

 ・・・どうやら、よほど邪魔をされたくなかったらしいな」

  お手上げとばかりに、カーマは両手を広げた。

 

「つまり・・・?」

「来た損、ということになる」

 そう、来た損。

 わざわざ淫魔の王と姫二人がやって来たのに、やることが見事に【無い】のだ。

 

「はぁ・・・ カッコ悪いわね、私達」

「まあ、たまにはこういうのも一興・・・ む・・・? 悪衣!

 カーマは、いきなり悪衣の手を引いた。

 

「えっ・・・!? 何・・・」

 悪衣が引っ張られ、岩から離れた

 その時

 

 

ズビュゥ────────────ム!!!!!!

 

 悪衣がさっきまでいた場所を、光の奔流が包んだ。

 

「っっ!!!!???」

 驚く悪衣。

 振り向くと既に、大型の光弾は消え、その代わりに、悪衣がいた場所は大穴が開き、ちょっとしたトンネルになっていた。

 プスプスと焼け焦げる地面の匂いが、死を誘っているかのように鼻についた。

 

「あ、ぶなかった・・・?」

 いくら悪衣でも、あんな質量の陽の霊力砲を浴びれば、一溜まりも無い。

 

「悪衣ももう少し敏感になれ。今のは油断では済まんぞ」

 珍しく、カーマは悪衣に注意をした。

 

「え、ああ・・・うん」

 悪衣も、素直にコクリと頷く。

 

 

 

「おやぁ?外しちまったかい。騙し打ちや奇襲は昔から十八番だったのにねえ」

 光弾が飛んで来た向こうの林から、それなりの年齢の女性の声が響いてきた。 

 

「・・・何者だ。俺の伴侶に嘗めた真似を・・・ 姿を現せ」

 また珍しく、カーマは少し苛立ちを表情と口調に混ぜている。

 

「あーハイハイ。出てやるさ」

 声の主は、あっさりと林の間から出てきて、二人の前に姿を現した。

 

「ったく、狙いを外すなんて、あたしもロートルってことかねぇ」

 その正体は、旅館“山神”の女将。神藤紫磨であった。

 紫色の色調の巫女服と、それとは全く似合わない、煙を上げているキセル。

 実に面倒臭そうに頭を掻くその姿は、やる気が全く見られない。

 

「誰・・・?」

 全くの初対面、悪衣の疑問は尤もである。

 

「へえ、あんたが元天津の巫女の双子の姉、淫魔の姫さまの【悪衣】かい」

 式神、牙弁羅を従え、封神山の守護者は、堂々と参上し、不敵にカーマと悪衣を威圧的に見下ろしている。

 

「伝説の天女の勇者サマが、今や淫魔の姫さんねぇ・・・ ハハハ。40年以上生きてきて、こんな面白いモノが見れる日が来るとは思わなかったよ。

こりゃあ、神様に感謝しないといけないねえ」

  紫磨は豪快に、ケラケラと哂った。

 その物言いも、性格も、正義側とはとても思えない。

 

「・・・・・・・・・」

 悪衣としては、当然損な台詞が嬉しいわけが無い。

 無言のまま、紫磨を睨み続ける。

 

 

「何だアイツは・・・?」

 下手すると自分よりも悪人臭い人間を前に、さしものカーマも眉をひそめる。

 

「ああ、自己紹介が遅れたねえ。あたしの名は神藤紫磨。このふもとの旅館“山神”で、女将をやっていてね。

 ・・・ああ、ついでに、退魔師の家系でもあるのさ。この土地の守護も代々やらしてもらってるよ」

 

「・・・それで?」

 警戒しながら、相の口を挟む悪衣。

 

「・・・あたしゃあね。正直世界の平和がどうこうなんて塵ほども興味は無いのさ。

 けどね。この山は違う。何代も前から神藤家が守ってきた場所で、小さい頃のあたしにゃ遊び場でもあった。

 言ってみりゃあここいらはあたしの庭なのさ。・・・そこをズカズカ土足で、変な虫に入られたら・・・ プチっと潰したくもなるだろ?」

  紫磨から放たれる、巨大な毒蛇をイメージさせる強烈な殺気。

 そのあまりの恐ろしさに、鳥達は逃げ出し、虫や小動物たちは土や巣の中に逃げ込む。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・っっ!!!」

 カーマは、表情を全く変えず、

 悪衣は、その殺気に少しだけたじろぐ。

 

 

「悪衣。ちょうどいい相手だ。

 俺はあの剣を持った式神を殺る。悪衣は・・・ どこかに隠れている、さっきの光線の方をやれ」

  カーマは視線を変えないまま、悪衣にだけ聞こえるように呟いた。

 

「え・・・ あんなとんでもない光線を出すのを、私一人で見つけるの?」

「大丈夫だ。お前は確実に淫魔の姫として力をつけている。あれぐらいは倒してくれなくてはな。

 淫魔の姫、悪衣の初陣だ。楽しみにしているぞ」

「もう・・・」

 

 そして、二人は散らばった。

 カーマは真っ直ぐ牙弁羅の方へ、そして悪衣は、紫磨の方へと。

 

 

「おおっと」

 式神の操者である紫磨を狙うというのは、冷静に戦局を見る【天津亜衣】らしく、効率的な戦法だ。

 しかし、それは当然紫磨も心得ている。

 紫磨は余裕で、駆けて来る悪衣に対して後ろに跳んだ。

 

「このっ・・・!!」

 紫磨を追い、その場で跳ぶ悪衣。

 紫磨は、その姿を見、ニヤと哂った。

 そこに

 

(ビゥッ!! ビゥッ!! ビゥッ!! ビゥッ!! ビゥッ!!)

 

 どこに隠れていたのか、四方八方から小さな、穴の開いたゴルフボールのような、緑色の球体が現れた。

 撃斗羅の攻撃手段の一つ。独立光線球である。

 

(ビ────────────ッッ!!!!)

 

悪衣に向かって先程とは全く違う、爪楊枝のような小さな光線が無数に発射された。

 

「っっ!!!?」

 空中に跳んだ状態、体勢を変えられない状況を狙っての、360度どこにも逃げ場の無い光線の罠。

 避けることは・・・出来ない。

なら・・・!!

 

「くっ・・・!!」

 悪衣は、黒色の刃弓を出現させ、体を回転させながらそれをバトンのように振り回し始めた。

 一流のアイススケーターの如く疾い回転は、隙の無い弓の盾を作り

 

(バシュバシュバシュバシュバシュ・・・ッ!!!!)

 

 次々と襲い掛かる光線を、妖力をこめた刃弓の結界で弾き、悪衣は見事に防御しきった。

 

(ビュッ!! ビュッ!! ビュッ!!)

 

(ボムッ!!!)

(ボムッ!!!)                    (ボムッ!!!)

 

 続けて、悪衣は弓を引き絞り、さすがの速射と正確さで、球体を次々と撃ち落とす。

 

 

「・・・・・・・・・ チッ・・・」

 その様子を見て、舌打ちをする紫磨。

 

「待ちなさいっ!!」

「はっは!! 待てと言われて待つお馬鹿は居ないよっ」

 そう言って、紫磨は森の中へと消えた。

 それに続けて悪衣も、その森へと入っていく。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

    一方

 

 

 カーマは、三鈷杵を鞭へと変化させ、牙弁羅の剣と互角に渡り合っていた。

 牙弁羅の突進を鞭で阻むカーマの顔は、余裕ですらある。

 

「・・・・・・・・・」

 牙弁羅は、カーマを斬れる剣の間合いまで近づこうとするが、カーマの鞭はそこまで近づくことを許さなかった。

 全ての方向に届く伸縮自在の鞭は、前後左右に至るまで死角すらない。

 

「悪衣がもう片方を倒すまで待ってやる。それまで・・・ 壊れてくれるなよ?」

 

(ヒュンヒュンヒュンヒュンッッ────!!!!)

 

 フフ、と笑い、遊ぶようにして鞭を振り回すカーマ。

 牙弁羅も懸命に光剣でそれを捌き、反撃の隙を見出そうとしていた。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

   一方

 

 

「・・・どこ? どこに行ったの?」

 森の中へと着地した悪衣は、紫磨を完全に見失っていた。

 辺りを見回し、紫磨の痕跡を見つけようとするが、そういったものは全く見られない。

 

「ハッ。無駄無駄。ここはあたしの庭だって言っただろ?」

 その時、ふいにどこかから紫磨の声が聞こえてきた。

 

「(・・・どこから・・・?)」

 声から大体の場所を特定しようとしたが、上手い具合に森の木々で声を反響させており、居場所を掴ませない。

 

「冷静そうに見えて、まだ経験が浅いねえ。ノコノコこんな所にまで追いかけて来ちまってさ。

 相手の得意な場所に誘導されてどうするんだい? それにここじゃ、お得意の弓だって役立たずだよ」

  場所が分からないのをいい事に、ベラベラと得意に喋る紫磨。

 

「・・・そう。これからは気をつけるわ。・・・でも、それはあなたも同じなんじゃない? オバサン」

 紫磨が未だ隠しているもう片方は、光線が攻撃方法であることは分かっている。

 さっきの様な高質量の光線はともかく、小さな光線なら木を貫通してやってくることは無い筈。

 

 しかし

 

「・・・ホンットに馬鹿だねえ。同じじゃないからここに誘ったんだろ?」

 オバサンと言われ、強くイラついているらしい。

その紫磨の言葉と共に

 

(ビッ────!!!)

 

 右横の方向から、光線の弾丸が飛んできた。

 

「ハッ!!?」

 咄嗟に後ろに避け、光線をやり過ごす。

 逸れた光線は近くの木の幹に当たり、その木に小さくも深い焼け焦げの穴を開けた。

 

「・・・そこっ!!」

 反射的に弓を構え、光線の方向に矢を放つ。

 

(ビュッ────               カシャァンッッ!!!)

 

 ガラス状の何かが砕ける音に、悪衣は目を凝らし、駆け寄る。

 

「・・・・・・ 鏡・・・?」

 悪衣が矢を射った方向には、亜衣の矢で割れた鏡があった。

 何の変哲も無い鏡が、木に固定されているだけの単純な、仕掛け。

 

「・・・・・・ これは・・・」

 この鏡の仕掛けで、霊力の光線を反射させての攻撃?

 だとしたら、鏡の反射から・・・

 

 そう判断し、辺りを改めて見渡す悪衣だったが、

 その考えは、甘かった。

 

「うそ・・・」

 鏡は、大きなものから手鏡大まで、そこから見えるだけで様々なサイズのものが、そこら中に無数に存在していた。

 その中には、手が届かないような木の枝にまで付いている鏡さえある。

 

 これじゃあ、位置の特定なんて出来っこない。

 おまけに一つ一つ壊して反射を無くそうにも、これだけ多いと日が暮れてしまう。

 

「わかったかい? お嬢ちゃんは、蛇の巣穴に入り込んだのさ。

 せいぜいジタバタ暴れな。彼氏が余裕こいてる間に・・・ 丸呑みにしてやるよ」

 紫磨の反響する言葉は、自信に溢れていて、勝利を確信している。

 

「それとね。あたしを軽々しくオバサンと言った奴は・・・問答無用で八つ裂きにするって決めてるんだ。

・・・運が悪かったねぇ。その台詞を聞くまでは、お客さんを立てて半殺しで済ましとくつもりだったのに」

  紫磨の言葉の端々に残る冷たい響きと殺気は、その言葉が流言や冗談の類ではないことを知らせる。

 

「(・・・ちょっと、ヤバイ・・・ かな・・・?)」

 悪衣はほんの少しだけ不安になりながら、

 弓の弦を引き絞った。

 

 

 

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 

 

 

 

 ついに、エロが完全に無い話が・・・

 いや〜、今回エロが入れられるところが見事なまでにありませんで、敢えて出来るとしたら木偶ノ坊×青年鬼麿だけど、それは大顰蹙(ひんしゅく)間違いなし。そして僕もやりたくない・・・(頼まれてそういう系の小説を書いたことはありますが)

 

 友人は「じゃあ綾さんで行く?」と進言してくれましたが、「仮にも感動系で書いた後にそんなシーンいけるか!!」とボツにしました。

 

 青年、天神鬼麿は、子供の本家鬼麿との区別を付ける為に敢えて口調を変えました。

 でも声はそのままです。そうですね、犬○叉をイメージして貰えればピッタリかと。

 

 子守集と鬼麿の補完はすごくやっておきたかった部分なんで、個人的には満足してますが、その分どうしても勝手に想像するでっちあげ部分が多いのは勘弁してください。

 

 

■用語説明

 

 ●オカルト関連

 

【陽神の術】=体内の霊力、気を練り、自分そっくりの分身を作り出すかなり高位の術。

       その体は粘土のような性質で、自在に形を変えられる事が可能。

 

【霊道】=その名の通り、霊の通る道の事。人の霊が使う霊道、動物霊が使う霊道。同じ場所で死んだ人達が使う霊道と、様々な種類が存在。

     生身では移動できないとされているが、過去の記録によればそれが出来た聖人、高僧もいたらしい。

     必ずしもどこかに通じている一方通行とは限らず、回遊式にエンドレスループになっている場合や、縦横斜めどんな方向にも伸びていたり、入り口出口が地上数十メートルの上空に開通していたりもする。視覚的に説明するなら、【ガラスパイプの中にホバー走行車が走る、昔のSFマンガの高速道路】。

     ちなみに時の流れもバラバラで、鬼麿は京都から愛媛まで数分だったが、通り方を間違えると、出たら数年後という極端なパターンもある。

     こんなものを最初の一回で間違えずに目的地に辿り着ける所に、天神鬼麿の驚異的な実力が伺える。

 

 

 ●和菓子関連

 

【錦玉羹】(きんぎょくかん)=寒天を溶かし砂糖を加えて流し固めたものを言い、羊羹(ようかん)の一種。

              今回の雪兎錦玉のように透明なものものから、金平糖(こんぺいとう)の大きい版のようなものまで様々。

 

【淡雪】(あわゆき)=泡立てた卵白と錦玉とを混ぜ合わせたもの。春の淡い雪のように、舌の上で蕩けるのが特徴的。マシュマロの兄弟と言える。




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