淫獣聖戦 偽典 「繭地獄」 2

 放課後。
 弓道場の射場の床を磨き上げた部員達は、神棚に向かい柏手を叩き、無事を祈る。素引き鍛錬の後、的前に入る。何人か行射の後、亜衣が立った。黒の胸当てに袴姿は、堂に入ったものだ。凛々しいながら、柔らかな物腰が美しさをいや増している。一礼の後、一歩進み、足を肩幅に開く。弓を腰に当て、丹田に気を溜める。優美で流れるように矢を番えると的をしばし眺める。そして、打ち起こし、弦を引き分け、頬付けに至る。三重十文字がきっちり決まる姿は、若いながら風格さえ漂う。会。十五間半先の的に眼を凝らし、そして意識的に焦点をやや外す。半月に狙い、押し手に捻りを加えながら満を持し、自然な離れを待つ。
 しゅん。矢は弓を離れ。やや弧を描いて的の中央へ吸い込まれるように刺さった。おおっと感嘆の声が周囲から漏れるが、亜衣は意に介さず、最も大事な残心をゆっくりと果たすと、弓を腰に戻し、一礼して退いた。弓を置くと、正座し静かに眼を閉じる。先程の行射を振り返る。的中したが、狙いのわずか右だった。ここ数ヶ月で、胸が大きくなったことが射形に影響している。亜衣の分析は冷静だ。弦が胸を掠ることを恐れ、無意識に押し手がぶれたような気がする。よし、次こそはと心に刻み、眼を開ける。下向いていたので、改めて胸が目に入る。確かに大きくなったよなあ。ブラジャーを1サイズ大きくしたのに既にきつい。また買い直した方が無難だろう。
 成長。そう考えたかったが、この急激さは。やはりカーマに女にされたことがきっかけであるような気がして、胸がつまる思いがした。ふうーと息を吐いて顔を上げると、谷崎美和の行射が見えた。足踏みがしっかりとしていない所為か、上体が安定しない。矢は放たれたが、だいぶ下の方だ。何とか掃き矢(矢が地を滑走すること)は免れたが、的を外し、安土に刺さった。まあ外れることは致し方ない。問題はその後だ。なんと、さっと弓を戻し、足早に亜衣の方に下がってきた。亜衣は顔を覆いたくなった。師範が座を外しているから、主将の私が注意しなければ。
「美和ちゃん」
 亜衣に呼び止められて、はっとする。
「な、なんでしょう」
 同級生なのに下手に出る。弓道の技術で一目も二目も置いている上に、彼女にとって亜衣は何となく憧れの存在なのだ。
「きちんと残心の間を取らないとね。中り外れよりも大事なことよ」
「あっ。気を付けます」
「そわそわしてるわね。何か気になることでも」
「えっ。わかります・・・?」
 どぎまぎと、やや紅潮した顔を見て、さては色恋の方向と勘付いた。もう一言と思ったときに、顧問の師範が戻ってきた。桂を連れている。いつもは厳めしいのに、やや華やいだ表情だ。この人も女ねとやや心にわだかまりをもつ。
「失礼します」
 桂は礼をして、射場に入ってくる。部員から、わぁと声が挙がった。明らかに好意が籠もっている。師範は一同にきつめの視線を投げると、桂を差し招く。
「ほう。これは本格的・・・いや失礼。立派な弓道場ですね、それに綺麗だ」
 そのとき桂は、亜衣達の方を向いていた。綺麗なのは射場のことか、それとも。ふと美和を見ると、惚けたような表情で、桂を視ている。先程より頬が随分紅い。この男か。
「亜衣さん。こちらに来て」
 師範に呼ばれ、立ち上がって近寄る。
「この子が、主将の天津亜衣さんです」
 紹介されて、致し方なく頭を下げる。
「ああ。名前は聞いています」
 どう聞いているのか、やや訝しんだ。
「それにしても、結構距離があるものですね。これで当たるんですか」
 やや挑むような眼だ。
「もちろん。そうだ、亜衣さん。模範を見せてさしあげては」
「申し訳ありませんが、叔母が家にやってくることになっていますので、これで失礼します」
 無表情に答えると、亜衣はすたすたと控えの間に引き上げて行く。
「亜衣さん」
 師範が呼び止めようとしたが、桂が遮る。
「いいんです、御師範。またの機会でも」
「はあ」
 そのやりとりを聞きながら、亜衣は桂の何処が気に入らないのか自問していた。理屈ではない。この男に気を許してはいけないと、本能が告げているのだ。
「考え過ぎ・・・よね」



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