淫獣聖戦後伝・羽衣淫舞(3) |
「ハッ!」 亜衣のかけ声は空気を切るような鋭さを持っていた。 「タアッ!」 対して麻衣の声は大風のような力強さを感じさせる。 カシーンッ、と山々に乾いた木音が響き、こだまする。 木刀と薙刀とが激しくぶつかり、亜衣と麻衣が睨み合う。 亜衣が左へ身をかわそうとする刹那、麻衣は軸足に力を込めて一歩踏み出す。 押された形になって亜衣の体の開きがわずかに大きくなる。 「キエーッ!」 麻衣の薙刀が素早く小さな円を描いて、亜衣の肩口に鋭い一撃を放とうとする。 それを木刀で受けた反動を利用して、亜衣は後方に宙返りをして逃れる。 薙刀を持ちかえた麻衣が突きで追撃するのを右へ払い、亜衣は反撃に転じるべく麻衣のふところに飛び込んでいく。 「タッ!」 亜衣の鋭い気合いが響く。体ごと麻衣にぶつかっていく。 「ハアッ!」 亜衣の体当たりを紙一重でやり過ごして、麻衣の薙刀の先端が亜衣の右肩に打ちつけられた。 「うっ」 そのまま亜衣は板の間の上に倒れこむ。ダンッ、という音がするほどだから、その勢いもまた激しい。 トンッ、と薙刀の柄を床に打ちつけて、麻衣は得意げに微笑んだ。 「どう?お姉ちゃん。勝負あり、これで二勝一敗よ。」 「ハア、ほんとに腕を上げたわねえ、麻衣。」 少しでも気を緩めれば大怪我をしてもおかしくないこんな勝負をもう二時間余りも続けている姉妹など、日本中を探しても他にはいまい。 しかし天津姉妹にとってはこれが日常の稽古であった。 今朝の来客で気合いが入っていたのか、麻衣の集中力は普段以上でさすがの亜衣も今日は完敗だった。 弓矢を持てば一騎当千、無敵の亜衣だが、剣技では麻衣とほぼ互角。麻衣の集中力が高い時にはやや後れを取ることもあるのだった。 充実した午後の稽古を終えた姉妹の顔には、どちらも大粒の汗が光っている。 板の間の神棚に手を合わせて今日の稽古の無事に感謝すると、ようやく二人の表情からは戦う気合いが抜けていく。 「ふーっ、疲れたぁ」 その場に、麻衣はしゃがみ込む。 いつも以上に集中して稽古に励んだ心地よい疲労感が、亜衣の全身も包んでいる。 「ほら、麻衣、稽古のあとは着替えて祈祷でしょ。」 「あー、もう、お客さんがあった日くらい少し手心加えてくれてもいいのにぃ。」 「だーめ。日課っていうのは毎日ちゃんとやるから日課なんだから。」 朝の珍客のために費やした時間は、休憩時間を減らすことで補うつもりの亜衣だった。 「はーい」 一応、口では文句を言ってみるものの、麻衣もこの山奥での修行の意味はよくわかっている。 心技体、すべてを鍛え直すことで、天神子守衆の未来を守り通していかなくてはいけない宿命を姉妹は負っているのだ。 二人は土間に降り、大きなたらいに溜めた水で行水を使う。 電気やガスはもちろん、水道もこの地にはない。 生活に必要な水は毎日、十分ほど歩いたところにある湧き水まで汲みに行くのだった。 美しい姉妹が全裸になって行水を使う様子は、まさに垂涎、覗き見る男性がいたならばその幸運を神に感謝せずにはいられないだろう。 しかしここは猪さえも上がってこない高地、見られる心配などないから囲いさえない土間で二人は惜しげもなく白い素肌を晒しているのだった。 「ねえ、お姉ちゃん、さっきの太った人、えっと、小塚さん、だっけ?あの人、お姉ちゃんのことジロジロ見てたでしょ。」 麻衣は屈託もなくそんなことを言って亜衣をからかった。 「バカ、変なこと言わないの。」 そう答えて妹の発言を受け流した亜衣だったが、ゾクゾクッ、と背中に痺れのようなものが走るのだった。 虫酸、といってもいいかもしれない。 「あの人、ちょっと気持ち悪かったなあ。」 麻衣は思ったままに言葉にする。亜衣も同じ気持ちだったが、恩人の息子さんのお友達なのだから悪し様に言うのは憚られる。かといって否定する気持ちにもならなくて、亜衣は黙った。 それで充分、麻衣には気持ちが通じていく。 長く続いた鬼獣淫界との苦闘の間、姉妹の貞操はずっと梅の花弁の護符に守られてきた。 亡き祖母、幻舟が厳しい戦いを前にして、二人の秘所の奥に忍ばせてくれたものだった。 その花弁の護符も最後の戦いでの忌まわしい陵辱によって取り除かれ、今はもうない。 これまで以上に、精神と肉体とを研ぎ澄ませておかなければ、再び恐ろしい敵が現れた時に限りない恥辱にまみれることにもなりかねないのだ。 亜衣はもう、男を知った身であった。 たとえそれがこの世の者ではない邪淫王であったにせよ、カーマの猛り狂った男根が亜衣のホトの奥深くに埋めこまれたことに変わりなかった。処女でなくなった自分が天神子守衆の当主を継承したことについての迷いは今なお亜衣の心の中で消えることがない。 天津神社の本宮から分祠に移ったのも、自らに厳しい修行を課しているのも、あの迷いがあればこそなのである。 巫女衣装に着替えた二人は外に出た。 初夏の太陽が山の端にかかろうとしているから、山は夕暮れを迎える時間であった。 祠の前に進み、手を合わせ、読経の前の無言の祈祷を捧げる。 天神に祈りを捧げる前に、祖母幻舟に祈るのが二人の日課だった。 静かな心で祈るうちに祈祷の思いが満ちてくる。 木炭の火種から護摩木に火を移し、護摩を焚こうとした、その時だった。 亜衣はふと、動きを止めて耳を澄ました。 遠くで、姉妹の名を呼ぶ声が聞こえたような気がしたのだ。 麻衣も同じだったのか、緊張した面持ちで虚空に視線を向けている。 「亜衣さーん、麻衣さーん」 今度ははっきりとその声が聞こえた。 まだ遠いが、それでもさっきよりは近い。 あの声は・・・。 「孝明さん?」 麻衣の表情が明るくなる。 「亜衣さーん、麻衣さーん」 声が近づいてくる。たしかに孝明の声だ。しかし、先刻の明るさはない。 「何かあったのかしら」 亜衣がつぶやくと、麻衣は振り返って立ち上がった。 「孝明さん?どうしたんですかぁ?」 麻衣が遠い山に向かって返事をすると、こだまとなって山間に反響する。 孝明からの声は戻ってこない。 麻衣は一行が降りていった細道へと近づいて、背伸びをして坂下を覗きこんだ。 「あっ!」 しばらくの後、麻衣が悲鳴のような声を上げて亜衣を振り返った。 「誰か怪我してるみたい」 「えっ」 亜衣も祈祷の準備を中断して麻衣に近づいた。 孝明が仲間の一人に肩を貸してゆっくりとした歩調で上がってくる。 どうやら小塚のようだ。怪我をしているものらしい。 亜衣と麻衣は坂を駆け下りていった。 他の三人の姿はなく、孝明と小塚の二人きりだった。 「どうしたんですか?」 細道を駆け下りながら、麻衣が尋ねる。孝明が答えるより早く、姉妹は孝明たちの前まで下りて立ち止まった。 「小塚が・・・足を滑らせて」 ずっと小塚の肩を担いできたせいだろう、孝明の息は上がっている。 「ともかく庵へ。麻衣っ!」 「はいっ」 姉妹は孝明に入れ替わって、小塚の両肩を支える。 小塚は足を引きずっていた。体中のあちこちに擦り傷がある。 意識が朦朧としているのか立っているのが精一杯という様子で、声もない。 姉妹は小塚の巨体を支えながら、今来た坂を上っていった。 「沢づたいに下りていく途中で小塚が足を滑らせてしまって」 板の間にとりあえず小塚を寝かせ、姉妹は孝明から事情を聞いた。 参道を踏み外し、小塚は笹に覆われた斜面を滑落したのだという。 急いで帰る必要のあった優奈に美樹を付き添わせて下山させ、横川と孝明とで小塚をなんとか救出したのだそうだ。横川は先に山を下りた女性二人を追っていき、孝明と小塚は下山を諦めて登ってきたらしい。 幸い、ここには薬草が多く、傷を癒す薬は用意してあったし、どうやら捻挫した足には添え木をあてて濡らした手拭いで冷やしている。 「あ、夜はちゃんとテントで寝ますから、ご心配なく」 孝明はさすがに憔悴してそう言った。 男二人がかりでも、とうてい亜衣や麻衣にかなうはずはないのだが、紳士的な申し出をむげにもできない。 「わかりました。必要な物があったら言ってください。」 山菜とわずかな米、それに孝明たちが持っていた缶詰とで質素な食事を済ませた頃には、日も落ちて庵の周囲は闇に包まれていた。 孝明は庵の外にテントを張り、まだ足に痛みを訴える小塚を連れてテントに入った。 まもなくカンテラの灯りも消されたのを見届けて、亜衣と麻衣も灯明皿に灯した火を消した。 漆黒の闇、というほどではない。 空の高いところに半月が上がっており、空一面に無数の星が瞬いている。 目が慣れてくれば月明かり、星明かりで物の在りかくらいは判別できた。 もっとも都会の明るい夜に慣れている孝明たちには身動きもならない闇夜であろう。 そして、遠くフクロウの声が聞こえる他には風の音もしない静かな夜が更けていくのだった。 深夜になった。 高いところにあった半月は西の山影に隠れ、星のわずかな光だけが弱々しく庵の周囲を照らしている。 亜衣はふと目覚めた。 何かの気配を感じたのか、あるいは熟睡できずにいたのか、それはわからなかった。 (何時頃なんだろう) 東の空が白んでくる様子もないし、早起きの小鳥たちのさえずりも聞こえてこない。 (まだ真夜中なんだ・・・) ぼんやりとした頭で起きるでもなく眠るでもなく、亜衣は布団の中で薄く瞼を開いて闇に目を慣らしていく。 そうすることに何かの必要を感じたわけではない。癖のようなものなのだ。 天神のご意志によって目が覚めたのかもしれない、と思うだけのことである。 思い過ごしであればそれに越したことはないが、常在戦場の心構えが亜衣を覚醒へと導いていく。 隣の布団からは麻衣の規則正しい寝息が聞こえていた。 亜衣はそっと体を起こし、布団を出た。 夕方、孝明たちが戻ってきたから着替えもせず、巫女衣装のまま床についた二人だった。 袖長の白衣と緋色の襦袢との合わせのわずかな乱れを直し、そっと庵を出た。 気配を消して、テントに近づく。 深い意味があるわけでもない。 ただテントの中の二人が無事に眠っているかどうか、それが気になっただけのことだ。 テントには、小さな覗き窓のようなものがついていた。 そこから中を覗いてみたが、さすがに中は真っ暗で何も見えない。 (でも・・・) 寝息も聞こえなければ、人の気配もない。 (いない・・・?) この闇夜に、どこかに行くはずもなかった。 (どうしよう) わざわざ声をかけて起こすのも申しわけない。 一瞬の気の迷いがあって、背後の気配に気づくのが遅れた。 (ハッ!) すぐ後ろに人の気配を感じて亜衣が振り返った、その時。 パシャッ、と音がして、目の前が真っ白になった。 (カメラのフラッシュ?) 闇に適応した瞳孔に閃光を浴びせられて、亜衣は瞬時に視力を失った。 (しまったっ!) 瞳に閃光の残像が残って、何も見えない。 咄嗟に身構えるが、今感じたはずの気配は消えてしまっている。 ドンッ、という衝撃が、腹部を襲った。 (はうっ) 呼吸ができなくなり、思わず前屈みになる。 何者かが、長く伸びたポニーテールを掴んだ。 (しめたっ) 密着戦になれば目が見えなくても反撃できる。 そう思った次の瞬間、亜衣は首筋にチクリと針で刺されたような痛みを覚えた。 (な、なに・・・?) 髪を掴んだ手が離れ、また人の気配は闇に消えた。 次の攻撃は来ない。 亜衣はどうにか戦闘姿勢を取り、必死に気配を探った。 下手に動くより、全身の感覚を研ぎ澄まして敵の気配を感じ取る、それだけが今の亜衣にできるすべてだった。 そのままの体勢で、呼吸を整え、動悸がおさまるのを待つ。 (冷静さを失ったら負ける。) そんな確信があった。 腹部への突きは正拳だっただろうか。 さほど強い突きではなかった。落ち着いて戦えば負ける相手ではないはずだ。 しかし・・・。 (えっ、なに・・・) 五分ほどの時間が経っただろうか。 亜衣の体に変調が現れだしたのである。 体がカアッ、と熱くなってくる。 (まさか、毒針!) 首筋にチクリと感じた痛み、あれが原因に違いない。 (くっ・・・) 強靱な精神力で持ちこたえているものの、全身に力が入らなくなってきている。 (麻衣・・・麻衣っ!) 麻衣を起こさなきゃ、と思う。声を出して、麻衣を呼ばなくては。 閃光に気をつけて、毒針に気をつけて、そう教えてやらなくては。 が、声が出ない。 心臓の鼓動が耳の奥で聞こえてくる。 ドクッドクッ、という動悸が、どんどん速くなっていく。 死の恐怖、というのはさほど感じなかった。 息苦しさも、痛みも襲ってこない。 (でも、この感じは・・・) 全身を覆った熱っぽさは火照りとなって下腹部に集まっていく。 下腹部の火照りは、子宮の疼きに変わる。 疼きが全身に快感を広げていく。 (そうだ、これは・・・) 亜衣の心を絶望が支配しようとしていた。 |