時を遡ること、ほんの数分。

 鬼獣淫界の荒涼なる大地では、凶悪なる邪神と、神子の壮絶な死闘が繰り広げられていた。

 

(ドゥッ────!!)

 

                      (バァンッ────!!!)

 

 

 

「ちっ・・・!!」

 

 次々と飛んで来る霊力の砲弾を、カーマは紙一重で避わし、返す鞭で鬼麿を狙う。

 

「はあっ!!!」

 

(バシュゥッ────!!!)

 

 しかし鬼麿も、己に向かって飛んで来る岩をも抉る鞭に対し、霊力弾をぶつけそれを滅する。

 

 

 鬼麿の攻撃は、ただ蛇口を全開に捻っているようなもので、まるで考えがない。

 いくらその霊力が、カーマをも滅ぼしかねん程にずば抜けていようと

このまま消耗を狙えば、カーマの確実な勝利となる。

 

 だがそれは、カーマに確実な焦りを与えていた。

 

 

 そして

 

 

「っ・・・!?」

 何かを感じ取った、遠方のとある変化が、カーマの動きを止めた。

 

「悪衣・・・・!?」

 その時カーマが感じ取ったのは、悪衣の霊力の異常(みだれ)。

 何かが悪衣の身に起こったと知ったその瞬間、カーマの注意は、完全に鬼麿から逸れた。

 

 それは、初めてカーマが見せた

あまりにも致命的な、隙だった・・・!

 

 

(はっ・・・!)喰らえっ─────!!!」

 

 鬼麿はその隙を見逃さず、特大の霊力弾を────

 

 

ドォォォオオンッ・・・・・・────!!!!!)

 

 

「ぐっ────!!!?」

 カーマの脇腹にまともに当て、炸裂させた。

 

べきべきと、内側から肋骨が砕ける音。

焼けながら消滅する形で、抉り取られる腹部。

 

 

「ぐああぁあっ────────!!!!」

 

 

(ズ ガ ァ ン !!!!)

 

 

そのまま、凄まじい衝撃に弾き飛ばされ、カーマは一直線に、遙か背後の岩肌に、直撃する。

 軽くクレーターが出来上がるほどにめり込んだ衝撃で、岩山には放射状に亀裂が入り、岩の欠片がガラガラと崩れていた。

 

 

「・・・・・・・・・」

 その中心で、カーマは項垂れた姿勢のまま、動きがなかった。

 起き上がる力がないのか、それとも意識を失ったのか。

 

 

「とどめだ!! くたばりやがれ、カーマっ!!!」

 

 それを勝利への好機と確信した鬼麿は

更なる渾身の力を込めた、必殺となるであろう霊力の塊を、カーマに向けて放とうとする。

 

だが

 

「・・・・・・・・・・ 邪魔なガキが・・・」

 瓦礫の中、陽炎の様にふらりと立ち上がるカーマ。

 

 衣服の一部が焦げ、髪留めが瓦礫の中に失せたのか、長髪は纏まりなくくずれている。

 しかしカーマは、普段の様相とは違い、そんなものは知らんとばかりに

邪魔者である鬼麿を、殺意の篭もった眼でギロリと見据え

 

 

 

「どけぇ────────っっ!!!!!」

 

 悪衣ですら見た事の無いであろう、喉の奥底から吐き出される、怒りと焦燥を剥き出しにした、叫び。

 

そして

 

 

(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・ッッ!!!!!!)

 

 

 

 カーマの中から、信じられないような妖力の波動が迸り、大地が鼓動する。

右手の鞭に、膨大な妖力が流れ込んでいく。

 

それは生き物のようにうねり、巨大で、醜悪な何かの姿へと変貌する・・・・!!

 

 

 

「なっ・・・!?」

 鬼麿の驚愕するその僅かな間に、カーマの鞭は、完全にその姿を変えた。

 

 それは、まるで山の様に巨大な、漆黒の生物。

蛟(みずち)と呼ぶべきか、龍と呼ぶべきか・・・・・・

 その実体の影だけで鬼麿の視界を覆い尽くす、存在のあまりの巨大さに、それだけで威圧され、圧倒される。

 

 古代の神のみがその存在を知り、それが故にこの世のどの書物にも記されていない、忘れ去られた幻想の種────

怪物・・・ いや、それは既に、絵空の世界にしか存在し得ない、怪獣だった。

 

「う・・・ あ・・・」

 これまでに体験した事の無い恐怖が、鬼麿の精神を打ちのめす。

 

 

『───────────────────────!!!!!』

 

 

 言葉などでは絶対になく、声とすら呼べない咆哮に、大地が鳴動する。

その咆哮と共に、怪獣がその巨大な質量で、突進─── いや、鬼麿の真上に、降って来た

 

 まだ何十歩もの距離があった筈なのに、視界の全てが黒に覆われる。

 もう既に怪獣に踏み潰されたかのような錯覚に、冷静な判断や思考は、一瞬で吹き飛ばされた。

 

「──── このっ・・・・・───!!」

 その状況で、鬼麿が選んだのは逃走でも諦めでもなく、真正面からの対抗だった。

 己の中の強大な霊力、その全てを全開にし、退魔の力の凝縮された塊まりを、目の前全ての“黒”にぶつける。

 

 しかしそれは、怪獣の落ちてくる勢いを殺すだけに留まり

怪獣を覆う表層、体毛は、霊力を反射、拡散する特性でも持っているのか、ただ体毛の隙間から霊力波は逃げていく。

 

 いや、それだけではない。

 怪獣はあろうことか、鬼麿の霊力を巨大な口で、凄まじい勢いで吸い込んでいた。

 

「な・・・!!」

 驚愕に目を見開く、青年の鬼麿。

 

「・・・それは元々、俺が真っ当な神だった頃に飼っていた神獣。

しかし今やその存在としての名称(なまえ)すら失った、成れの果てだ」

 

 すると、離れた横の方から、カーマの声がした。

 

 

「霊力では決して傷つかず、それを糧とし喰らい、その度に重くなる。

 相手の霊力が膨大なほど、そいつはより強大な体重で、敵を押し潰す。

 霊力だけがやたらに強大な、お前の様なガキには最悪の相性だろう」

 

  声に混じる、砂利を踏む音。

 それは段々と距離が離れ、遠くなっていく。

 

「く、っ・・・ ま、て・・・ 待ち、やが・・・・」

 鬼麿は、限界を超えた出力による苦痛に必死に耐えながら、制止の言葉を搾り出す。

 

 取り返しの付かないことを、数え切れないほどしてしまった。

 大切な人を、大切な人の大切なものを、自分が奪い、殺し、潰してしまった。

 

 だからこそ、あの男、カーマだけは

たとえ魂が崩壊し命を失ってでも、ここで、自分が倒さなくちゃいけない、のに・・・

 

 

「まさか、こいつまで出さなくてはいかんとはな・・・・

 ・・・・・・喜べよ糞餓鬼。お前は、遥か昔の時代から俺に仕えていた最後の眷属(なかま)まで使わせた。

 こいつは最後まで使わずに、俺の中に仕舞いこんだまま、最後の舞台に行くつもりだったのに、だ」

 

「な・・・ に・・・?」

 カーマが何のことを言っているのか、鬼麿は理解する事ができなかった。

 

「まったく胸糞が悪い。こいつを元に戻す為の残り時間さえ無いとはな。

そいつの“残りの数分”は、お前にくれてやる。・・・せいぜい、それを誇りながら消えろ」

 

 

(タンッ────!!)

 

 

 それだけはき捨てると、もはや怪獣にも、鬼麿にもただの一瞥もやることなく、既にカーマは、遥か高く跳んでいた。

 ただ一点。悪衣の元へ・・・・・・

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

「・・・・・・えらく、手こずらされたものだ」

 

 一回の跳躍にて、百歩に近い距離を跳ぶ。

軽やかながら、かなりのスピードでただ一方向へ向かいつつ、カーマはそう呟いた。

 

 

(カッ────────!!!)

 

 

 突如、遥か後方・・・ 鬼麿と最後の使い魔がいた方向からの、爆発の光。そして、僅かに聞こえてくる爆発の轟音。

 しかし、それでもカーマは驚きもしなければ後ろを振り向きもしない。

 

「自爆したか・・・」

 ただ、そう一言。

 

 カーマには、大体に予想が付いていた。

 

 あれを相手にしては、限界を超え陽神の肉体は崩壊し、再構築すら出来ない。

 数秒もせず、重量を増し続ける怪物に潰される。

 

 奴に最低限の考える頭があれば、その後の自爆は当然の帰結。

 

 自分を潰した後、霊力を吸うだけ吸って巨大化したアレが次に向かうのは、麻衣達のいる所かもしれないという可能性。

 それを頭に浮かべた時、取るべき行動はひとつだけだ。

 

 即ち、残る全ての霊力。陽神の肉体を形成する霊力の全てを暴走させ、オーバーヒートを起こし、爆発させる事。

 そうすれば、アレもろとも吹き飛ばす事は可能。

 

 どこぞ遠くに在るであろう本体は、今頃気絶でもしているのか、それとも死んだか・・・

どちらにせよ・・・

 

 

「・・・ ぐっ・・・!」

 痛みに顔を歪め、肩口を押さえるカーマ。

 それは、常に余裕をもって堂々とあったカーマという淫魔には、あまりにも似合わない姿だった。

 

 しかし、それも当然。

 鬼麿との戦いで負ったダメージは、決して浅いものではない。

 

 手誰の妖狐、葛葉との戦い。

 そして更に、天神と淫魔大王の血を引く鬼麿との連戦。

 

 どのような実力のある淫魔であれ、そんな無茶な戦いをすれば

消耗し、傷を負い、或いは消滅も当然であり、今の状況で済んでいるという状況こそが逆に脅威である。

 

 ならば、だからこそ。

そこから更なる戦いの場へ赴くなど、愚の骨頂。

 

 この戦いにおいて、勝利を第一とするのならば、これは無謀以外の何ものでもない。

 

「まだだ・・・」

 

 ・・・だが、それでも。

カーマは進路を一切変えようとせず、真っ直ぐに一箇所を目指し、跳び続けている。

 

「まだ、やるべき事が・・・」

 

 まだ、一つだけ残っている・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

       一方

 

       鬼獣淫界  荒野

 

 

 

 

 

 

 悪衣、麻衣、仁、そして、木偶ノ坊。

極限までの緊張と興奮で。

全ての人間にとって、本来なら瞬きほどの時間が、0.1秒が、とんでもなく遅い流れに感じられるスローの世界で

 

 その時、仁の一太刀、その刃は

 確実に、天津亜衣の肉体を──── 通過した。

 

「「────────っ」」

 喉から上がってきた悲鳴ごと、息を呑む麻衣。

 かっと眼を見開き、硬直する木偶ノ坊。

 

 その反応は当然。

己の目が狂っていないなら

逢魔仁の刀の軌道は、確実に悪衣の身体を、袈裟に両断していた筈だから。

 

 

 しかし

 

 

 噴き出す血も無く、痛みによる絶叫もなく

 悪衣・・・ 天津亜衣は、無傷のまま、そこに居る。

 

 いかなる奇術の類よりも不思議な光景。

 それは── 正しく、奇跡の太刀であった。

 

 

 そして、何時間以上にも感じられる、数秒にも満たないであろう、僅かな沈黙の果て

 

「ぎ、ぐ────・・・・!! あ、あ゛────」

 それまで何の変化もないと思われていた、その中で

 突然、悪衣は、その身を激しく痙攣させ、体中から、妖力と霊力を花火の様に弾かせ、放出させながら

地獄の苦悶を思わせる表情と、絞るような声で絶叫し、苦しみ始めた。

 

 一体、何が?

 そう、その場の皆が思うより前に

 

 

 

 

『今だよ!』

 

 

 『僕を・・・ 投げて!!』

 

 

 

 

「(ツクヨミ、様──・・・・!?)」

 それは、木偶ノ坊の、頭の中にだけ響いていた。

 

 突如聞こえた、人を愛する幼き姿の神の声に

 考えるよりも前に、木偶ノ坊の手は

 

「むぅんっ────!!!」

ただ、その声と、己の第六感だけに従い

青く光り輝く八尺瓊勾玉を、悪衣へと── 投げた!

 

 

 

(───────────────────────────)

 

 

 

 人の口による表現では、とても言い現せられないであろう、共鳴音。

 それは、天から響く歌声であるようで、

同時にまるで、極上のハープが地底湖で幾重にも響き渡るような、とても神聖で、美しい音。

 

それは、砂に、空に、岩に。

更には、そこにいる者達全ての心の中にまで、澄みやかに広がっていく。

 

 

 それと共に、悪衣の胸元に届いた勾玉からは全ての水の恵みが光となったかのような蒼の光が、変化を始めた。

放射状に延びていた光は瞬く間に屈折を始め、悪衣の肉体を包み込み

やがてそれは、半透明の水晶の卵の形を形成する。

 

 

「すごい・・・ けど」

「一体、何が起こるぞなもしか・・・?」

 

 その幻想的で不可思議な、神秘の結晶とも言うべきその光景に、麻衣と木偶ノ坊が目を奪われ、驚きの中にいた中

 

 

「ぐ・・・・っ!!!」

 

(ドサッ・・・!!)

 

 苦しげな呻きと共に、仁は、唐突に崩れ落ちた。

 

 

「仁さん・・・っ!?」

 驚き、駆け寄る麻衣。

 

 麻衣にも、木偶ノ坊にも、仁が倒れる理由には心当たりがある。

 仁に与えられた【真の剣の加護】。

 それが仁の能力の限界を超え、その肉体を破壊した場合・・・

 

 

「はぁっ・・・ はぁっ・・・!! はぁっ・・・・────!!!」

 

 激しい動悸の中、仁はすぐに冷静を取り戻し、己の状況の確認を始める。

 

「・・・・・・・・・」

 ・・・大丈夫だ。生きている。

 目も見える。鼻も利く。舌の感触も。

 

 

「仁さん! 大丈夫ですかっ!!?」

 

麻衣の声も・・・ 耳も聞こえる。

 汗を伝う触感も・・・ ある。

 

 

「ああ・・・ どうやら、大丈夫・・・ らしい・・・」

 肉体も精神も、かなりの疲労を示しているが・・・ 

 なんとか、俺は・・・ 大丈夫らしい。

 

 成る程、確かに一回限りの切り札だ。

 こんなものを二回もやろうものなら、その時は・・・・・・

 

 俺は・・・ 死ぬ。

 

 

「仁・・・ さん?」

「・・・・・・・・っ」

 

 首筋に死神の鎌を当てられたような底冷えた感覚から、ハッと仁は現実へと返る。

 

「俺の事は心配要らない。それより・・・」

「そ、そうでございますぞなっ!! 麻衣様、大丈夫でございますぞなもしかっ!?」

 

「え・・・?」

 きょとんとしている麻衣は、仁と木偶ノ坊から向けられている視線の先を辿り・・・

 

「あ・・・」

 自分の右肩と、左脇腹がスッパリと斬れているのをようやく思い出した。

 それも、自分でも驚くほどのけっこうな出血具合で、傷口の所なんかは、円を描くように真っ赤に・・・

 

「あ、い・・・ 痛、いたたた・・・」

 

 自分で傷口を改めて見たせいか

今までそれどころではなかったのですっかり忘れていた傷の痛みが、ぶり返してきた。

 

「ま、ま、麻衣様っ・・・!

 そ、そうでございますぞな。は、早く神器の鏡の力で・・・」

 

 そんな麻衣の様子を見て、木偶ノ坊は、見ててかわいそうなぐらいオロオロとしている。

 

「ん・・・ ううん、平気。

ちょっと痛いだけで、そんな深くないから・・・

それに、鏡は今、使ってるし・・・ ね」

 

  そう言ってにこっと笑う麻衣だったが、それが空元気の作り笑いだということは簡単に見て取れた。

本当は、その場で泣いてのた打ち回りたいぐらい痛いのだろう。

 

必死に痛みを堪えての笑顔にはやはり無理があり、額には苦しそうな汗すら掻いている。

 

「(・・・ホントに、嘘が下手な子だな・・・)」

 心の内で、そう呟いた仁は

 

「無理するな」

 そう言って、ジャンパーの右手の袖から・・・ 何かを取り出した。

 

「・・・? それは・・・ お札?」

 

「ああ、あの鏡ほどじゃないが、痛みを消し傷を癒す効果がある。

 ひとまずこれを1枚ずつ貼ろう。・・・それと」

 

 

(バサッ・・・)

 

(バリ・・・ッ! ビリ、ビリィッ・・・!!)

 

 

 おもむろに自分のジャンパーを剥いだかと思うと、そのまま仁は、黒のタンクトップを素手で引き裂いた。

 

「え・・・!? ちょっ・・・ 仁、さ・・・?」

「じっとして」

 

 慣れた手つきで、仁はあっという間に

引き裂いたタンクトップを、麻衣の負傷箇所に札を挟み込み、急場の包帯として巻き、結ぶ。

 

 

「これでいい。本格的な治療が後で必要だが・・・

 とても綺麗な斬り傷だ、こうしておけば、おそらく痕は残らない」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 そんな仁の言葉は、麻衣には半分も届いていなかった。

 

 息が当たるほどに近い、仁の顔。

 タンクトップを裂いた事で露わになった上半身。始めて見る、均整の取れた筋肉。

 引き寄せられ密着した状態に、頼りになる逞しさ。そして・・・

 

 その、優しさ。

 

 

 高鳴る心臓の鼓動が、聞こえてしまったらどうしようと

 ひたすらの緊張に、麻衣の視線が仁の顔から逸れた、その時

 

「・・・・・・・?」

 仁の右手の・・・ ある箇所が、偶然麻衣の目に止まった。

 

「仁さん・・・?」

 既に麻衣から離れ、裸の上半身の上にまたジャンパーを羽織り直そうとしていた仁に

麻衣は、つい声をかける。

 

「どうした?」

 

「その・・・ 包帯・・・」

 仁の右手には、包帯が巻いてある。

 それは、天岩戸で負った刀傷のものだ。

 

 だから包帯が巻いてあるのは当然だし、麻衣も知っていた。

 しかし、だからこそ、今の包帯の常態に、違和感があったのだ。

 

 綺麗に巻かれていたであろう包帯は、バラけ、よれていた。

 明らかに、巻かれていた包帯を一度バラし、何かを抜いて、もう一度急いで巻き直したかのような・・・

 

 

「・・・・・・・・・・ (もしかして・・・)」

 もしかして、私にくれたお札は・・・ あの中に入っていたんじゃないだろうか。

 

 それも、こんな戦場で2枚しか用意できないほど、すごく貴重なお札だとしたら?

それを2枚も挟んでおかなければいけないほど、完全に治っていなくて、痛みもひどいとしたら・・・?

 

 

「仁さん、ひょっとし・・・」

「そういえば、お姉さんの方は?」

 

 舞衣がそれを尋ねようとした所で、偶然か

仁の問いが、麻衣の言葉をかき消した。

 

「それは・・・」

 蒼に包まれた悪衣のいる空を、不安げに見上げている、麻衣。

 

「むう・・・ あれでは、まったくもってわからぬぞな・・・」

 木偶ノ坊もまた同じように、眉間に困惑の皺を寄せていた。

 

「あとは、信じるしかない。ということか・・・」

 

 そう、三種の神器を授け、託してくれた、天照大神、月読命、須佐之男命の事を。

 それを信じ、思いを一つにして神器を使った、自分自身を。

 

 そして・・・

 

「お姉ちゃん・・・」

 

 天津亜衣のことを。

 

 

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

 

 

       天津亜衣の精神世界  識域下・暗黒体

 

 

 

 

 そこには匂いも無く、音も無く、動もなく、生もない。

闇しか存在せず、ただ寒い。それだけの・・・ 虚無の空間。

 

 その奥底の更に奥底。

積み重なり凝縮された高濃度の闇が、まるでヘドロが如く粘りつくように感じられ、重さを持つその場所に

 

 “天津亜衣”の本来の支配者。天津天神の巫女、悪衣とは両義の反対に在る存在。陽の属性である亜衣は

 堅固で冷たい鎖に繫がれたまま、そこに居た。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 自ら指先一つ動かすことも無く、一言も発せず

 ただ独りきりで、永い間、その空間に閉じ込められていた亜衣は、明らかな憔悴を見せていた。

 

 闇だけが支配する無の世界では、時の流れすらもわからない。

頭の中で一秒二秒と数えてみても、やがては気が遠くなり、より無限の闇の、その孤独を味わうだけ・・・

 

 

 そんな、無の世界の中で・・・

 

 

「・・・・・・・・・?」

 僅かに起こった変化に、亜衣は項垂れていた顔を、久しぶりに真上に向けた。

 

 

「ひか・・・ り・・・?」

 

無限の闇の筈の世界。その遥か虚空。

その小さな、とても小さな一点に僅かに生じていた皹から、それは漏れていた。

 

サファイアブルー・・・ どこまでも清らかで、澄んだ蒼の光。

それは、闇だけが存在している筈の世界において、文字通りの異彩であった。

 

「きれい・・・」

 そう、綺麗。

 この光を表現するのに、綺麗以外のものはない。

 

 光は、一筋の光の柱となり、闇を払い除け、消し去りながら・・・ 亜衣の下へ降りてくる。

 それはまるで、天から降ろされた、カンダタの蜘蛛の糸のようで・・・

 

(パキンッ・・・!!)

 

「えっ・・・?」

 その光が、己の身に降りかかると同時に

 亜衣を縛する、重く冷たい鎖は、一瞬で砕け散った。

 

 

そして

 

(カッ────────!!)

 

 

「っっ・・・・・・!!?」

闇の全てが蒼の光に包まれ

 

何もかもが蒼へと────

 

 

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・ ・・・・っ?」

 亜衣が次に目を開けると、そこは全く違う世界であった。

 

 海の中から見る水面の光を思わせる、蒼光のカーテン。

それが幾重にも重なり、ゆらゆらと漂う帯によって彩られた、不思議な空間。

 

 

「ここは・・・?」

その幻想に過ぎる光景に、亜衣が呆然としていると

 

 

「天津亜衣ちゃん」

「・・・・・・っ!?」

 

 不意に真後ろからはっきり聞こえたその声に、驚き振り返ると

 

「やあ、始めまして」

 目の前には、一人の・・・ 時代を感じさせる格好をした、少年。

 

 亜衣は知ることは無いが、天岩戸にて木偶ノ坊と対面した、三貴神の一人、月読である。

 

「あなたは・・・?」

 

「ボクはツクヨミ。月読命。

 君が元いた場所・・・ 麻衣ちゃん達の元に帰る、その助けに来たんだよ」

 

屈託ない笑顔で、月読はそう述べる。

 

「ツクヨミノ・・・ ミコト!?」

 目の前にいる少年の言い放った名に、驚く亜衣。

 

「うん。そうだよ。

でも、様とか付けないでね。気軽にツクヨミでいいよ。僕も亜衣って呼ぶし」

 

「私を・・・ 助けに?」  

 

「うん。君の為に身命を賭して試練を受けた、一人の勇敢な戦士、木偶ノ坊との約束を果たすためにね」

 そう、一人の戦士・・・ 木偶ノ坊と交わした約束の為。

 

「木偶ノ坊、さんが・・・」

 その名を無意識に反芻する亜衣の表情には、嬉しさと懐かしさがあった。

 ああいった場所にずっといたせいだろうか、麻衣も、木偶ノ坊さんも、随分出会っていないように感じる。

 

「さて、せっかくの初対面でゆっくり話したい所だけど・・・ そう時間もないんだよね。

だから手短に今の状況と、やらなければいけないことを話すから、よく聞いて」

 

「・・・・・・・・・」

 小さく頷く、亜衣。

 

「ウン、よろしい。じゃあ、状況についてだけど・・・

 全ての3種の神器のうち、鏡の発動によって、君を支配している“悪衣”の部分は、今は力を封じられてる。

 そして、今ボクと君が話しているのは、ボクの勾玉の力。

 ほとんど悪衣に取られてなくなっていた君の力をボクが月の力で補充してあげたワケだね。

 だから今、君の魂の世界がこういう風に表現されて見えてるのは、そういうコト。 わかった?」

 

「・・・はい」

 厳粛に頷く、亜衣。

 

「オーケー。じゃあ、次のステップ。

 君ももうだいぶわかってると思うけど、君を助けるには色々と難しい問題がある。

 二つの魂が一つの器にあるっていう事においての、容量の問題から、他色々。

 その問題を一つ一つクリアしていかないといけないんだ。力技だけじゃ、君が壊れちゃうからね」

 

「・・・・・・・・・」

 重い、沈黙。

 

「でも・・・ それについては希望が出て来た」

「え・・・?」

 

「奇跡の光明とでも言うべきかな。

仁・・・ 天敢雲の力に選ばれた戦士が、それを切り開いてくれたんだ。

 

草薙の“万物を斬る力”。その力で彼は、君の中にある、“あるもの”を斬った。

それは・・・ 亜衣(きみ)と悪衣の、繫がりという名の事象なんだよ」

 

「事象・・・?」

 月読の言葉の意味が掴めず、亜衣には、その単語を反芻するしかない。

 

「そう。すごいよ、彼。

 “悪衣”を斬るだけならもっとずっと簡単だったっていうのに、彼はわざわざ別のものを探して斬ったんだ。

 人間がそんな事を出来るっていうのは、本当にものすごいことなんだ、けど・・・ 分かり辛かった?」

 

「あ。いえ、その・・・」

 さすがの亜衣でも、急な展開の連続で、頭がついていっていない所があるのは否定できない。

 

「じゃあ、ちょっと言い方を変えよう。・・・仁が斬ったのはね、『法則』。

 『天津亜衣は一人しか存在していない』という、天地宇宙の法則に既に書き記された概念事実さ」

 

「・・・・・・! そんな・・・」

 

「うん。人の手じゃどうこうしようのない・・・ 例え、かなり上位の神でも難しいであろう、絶対不変のもの。

でも、天敢雲はそういった絶対不変のものまで斬ることができる、最強の神具なんだ。

それを使って、仁は君の法則の一部を真っ二つにしたんだよ。

・・・つまり簡単に言っちゃうとね、『一人しか存在していない』が、『二人存在していい』に変更されたんだ」

 

「え・・・」

 驚愕が一定の次元を超えると、逆に人は声を出せなくなる。

 実際に、今の亜衣がそれだった。

 

「ただ、それだけじゃ君という器が、“法則の変化”という負荷に耐え切れない。

 あのままだったら君は・・・ うん、消滅してただろうね。

それを何とか押し留めているのが、僕の神器である勾玉の力というわけなんだけど・・・

 

さて、問題はここから。

 君がここから出て、なお天津亜衣として在る為にはだね・・・

今の内に君が正確な分だけ、僕が留めたこの魂の中にある“亜衣”の部分をかき集めなくちゃいけないんだ。

・・・でもそれには、これまで君がしてこなかったこと、向き合わなかったことに挑まなくちゃいけない」

 

「してこなかった、こと・・・?」

それは・・・ もしかすると

 

「君は頭いいんだから、それはもうわかってるんじゃない?

 あそこにずっといた間、考えてたんでしょ? これまで考えてもいなかった、色々なこと」

 

「・・・・・・・・っ ・・・・・・・・・・・」

 核心を突いた月読の言葉に、視点を落とし、俯く亜衣。

 

 月読の言うとおり、あの空間に居た間。考える時間はたっぷりとあった。

 

あんな闇の世界に、永い永い間独りでいた、悪衣。

知らなかったとはいえ、彼女に孤独を与えたその原因は、私で・・・

 

 

「・・・その様子だと、ボクから何か言う必要は無いみたいだね」

 

 そう言って、月読は下から亜衣の顔を覗き込む。

 

「うん、いい目をしてる。まるで宝石みたい。

亜衣は、魂がすごく綺麗なんだね。僕にはわかるよ」

 

 それも、今回の経験。身に降りかかった辛酸や、心の闇との対峙・・・

この一週間程度の間にあった出来事の数々が、その宝石を研磨し、より美しく輝かせたのやもしれない。

 

さすがボーが必死になって助けようとするだけあるよ」

ウンウン、と。満足そうに月読は頷いている。

 

 

「そんな・・・ 私は・・・」

 しかし亜衣は、そんな月読の手放しの賞賛を、素直に受け取れない。

 

「“そんな風に言われる資格はない”って?」

 

「え・・・」

 亜衣の心を見透かしたような月読の言葉に、亜衣は驚いた。

 

「悪衣のことで、色々考えてるんだよね。・・・うん、ちょうどよかった」

 

「ちょうど・・・ よかった?」

 

「うん。これから自分の魂を集めるには、“悪衣”との協力が必要だからね。

 これからボクを挟んで二人で話をして、間違えないように二人はそれぞれ自分の魂を集めなきゃいけない」

 

「じゃあ・・・」

 つまり、それは・・・

 

「悪衣(わたし)と、今から会いに行くん・・・ ですね」

 

この、魂の世界の、どこかで。

悪衣と二度目の邂逅、そして、会話・・・

 

「いい機会なんじゃないかな? すごくギリギリのタイミングだけど。

まずは話し合って魂を集めて、そこからどうするかは、また二人での話し合いで決めたらいい話だからね。

悪衣を消して決着を付けてるのか、それとも・・・ ・・・・亜衣は、どうする?」

 

「私は・・・」

 目を伏せ、少々の沈黙。

 

 そして

 

「話したい。悪衣と・・・ それで、できれば・・・」

 

 

「謝りたい?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

横目で尋ねる月読に対し、亜衣は・・・ 静かに、頷いた。

 

「でも、君が彼女に恨みが無くて倒す気がなくても、向こうはわからないよ?

 君がどう言っても、絶対に君を許さないかも」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 重い、沈黙。

 それは、どれだけの間続いたか

 

 

「それでも・・・」

 やがて、意を決したように

 

「それでも・・・ 話したいと思います」

 月読を正面に見据え、亜衣は・・・ そう言った。

 

 

「・・・・・・・・・・」

 それを聞いた月読は、ニヤニヤとした横目で、小さく頷くながら亜衣を見ていたかと思うと

 

「うん、いいね。すごくいい。

ボク、亜衣も麻衣も、ボーも・・・ 君達みんなの事、大好きだよ」

 

「あ・・・ ありがとう。ございます」

 月読のあまりにもストレートな好意の言葉に戸惑いながらも、礼を返す。

月読は月読で、敬語の抜け切らない亜衣に少し何か言いたげではあったが・・・

 

「それじゃ、そろそろ行かないとね。

あ、でもその前に、一つだけ・・・」

 

 そう言うと、月読は亜衣の目の前で、ふわりと浮いて

 

「あ・・・」

 月読の柔らかな手が、亜衣の前髪に触れた。

 

「願わくば、全てが上手くいきますように。

 これからの君達に、幸福の未来があらんことを」

 

 亜衣の額に掌を乗せ、言霊を紡ぐ。

それは三貴神が、選ばれた人にのみ送る、最大級の祝福だった。

 

 

「・・・・・・さて、と」

 祝福を終えると、月読はゆっくりと下降し

 

「行こうか」

 月読は、亜衣に手を伸ばした。

 

「・・・・・・・・・ はい」

 亜衣は強く頷き、月読の手をとる。

 

 

 そうして亜衣は、月読の案内を受け、飛んだ。

もう一人の天津亜衣、悪衣の元へと・・・

 

 

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

 

 

         そして 再び

 

       鬼獣淫界   荒涼なる大地

 

 

 

 

 

 空に浮かぶ、蒼の水晶の球体。

水晶の卵を思わせる透き通った結晶の中で

白と黒。光の霊力と、闇の妖力が、時に接触し、時に激しくぶつかり合っていた。

 

 

「お姉ちゃん・・・」

 麻衣は、ただひたすら祈っていた。

 

 ただ、姉が無事であって欲しい。

 願わくば、これ以上・・・ 誰も傷付かないで、悲しまないで。

 麻衣はただひたすら、願い続けていた。

 

現実の戦いの歴史では、ただの一度も叶った事のない、純粋な願いを。

 

 

 その時

 

 

「え・・・?」

 それまで目を閉じ、ひたすら祈っていた麻衣が、驚き眼を見開く。

 

「どうしたんだ?」

「何か、ございましたぞなか・・・?」

 

 麻衣の挙動に、仁と木偶ノ坊が駆け寄ると

 

「お姉ちゃん・・・」

 呆然とした表情のまま、漏れる言葉。

 

「お姉ちゃん・・・ 二人のお姉ちゃんが、話しをしてる・・・」

 

「・・・?  それはいったい・・・ ・・・・っっ!!?」

 

 

 

 

 

 

(カッ────────!!!!)

 

 

 

 

 

 

 突如、目も眩むほどの光が、全てを包み込む。

 驚く三人、しかし、光の中、音も、声も、何もかもが把握が出来ない。

 

 しかし同時に、誰もが思った。

それはまるで、宇宙創生の光のようだと・・・

 

 

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

 

 

 そして光は、驚くほど急速に消え去った。

 

 気付けば、回りの光景は、全て元通り。

しかし、空に在ったはずの蒼水晶の卵だけが、光景から綺麗に消えていた・・・

 

 

「何が・・・」

「起こった、ぞな・・・?」

 

 仁も、木偶ノ坊も、容易には状況が把握できていない。

 しかし、麻衣は・・・

 

 

「・・・・・っ!! お姉ちゃん!!!

 呼び終わるよりも前に、麻衣は駆け出していた。

 

「麻衣っ・・・!?」

「麻衣様っ・・・!?」

 後ろからの二人の声も、もはや耳には届いていない。

 

 麻衣は、駆ける。

その先・・・ ほんの数十歩ほど先に倒れている、間違えようの無い大切な人の元へ。

 

「はっ・・・ はっ・・・」

 何度も足がもつれ、倒れそうになったが、そのたびにもう片方の足で、時に手でそれを支えながら

 やがて倒れこむように、、一糸纏わぬ、生まれたままの姿で、力なく伏している姉に、辿り着く。

 

 

「お姉ちゃん!! お姉ちゃんっっ!!」

死んだように眠っている姉を起き上げ、揺する。

亜衣と悪衣のどっちだなんて、もうどうでもいいとばかりに、ただただ、麻衣は姉に呼びかけていた。

 

 

「・・・・・・・・・・・・ ・・・・・」

 すると、亜衣に僅かに反応がでてきた。

 

「ま・・・ い・・・・・?」

 ゆっくりと、瞼が開く。

 

 この感じは・・・ 間違いない。

 私が良く知ってる・・・ 17年ずっと一緒だった亜衣(ねえさん)だ。

 

「おかえり・・・ なさい・・・」

 目に涙を浮かべ、麻衣は、姉の帰還を素直に歓んだ。

 

「・・・・・・・ そう・・・ 私・・・ 戻って、来たのね・・・・

 ただいま・・・ 麻衣・・・」

 

  優しい笑顔で、麻衣に微笑む亜衣。

 

 思えば、たった反日すらも離れたことが無い二人が、始めて離れ離れになっていた。

気が遠くなるほどに、永すぎた一週間。

 

 永き別離を経ての再会に、涙だけが、二人の想いを伝え合っていた。

 

 

「亜衣様・・・ 麻衣様・・・ うぅ、おぐ、うぅっ・・・」

 そして、後方の木偶ノ坊も、顔をくしゃくしゃにして、盛大にむせび泣いている。

 

「・・・・・・・・・・」

 隣に居る仁もまた、安堵の笑顔を浮かべていた。

 

 

「木偶ノ坊さん・・・」

 涙に濡れた顔で、亜衣も、麻衣も、笑顔になっている。

 

「・・・・・・・・・・・・(ハッ!!)」

 しかし亜衣は、すぐにある大事なことを思い出した。

 

「悪衣・・・」

「え?」

 

「悪衣は!? 悪衣は・・・ いないの!?」

 

「悪衣・・・? もう一人の、お姉ちゃん?

 そういえば・・・ どう、なったの・・・?」

 

「わからない・・・ 私の中には、もう・・・

 でも私は・・・ 悪衣と確かに話をしたの」

 

「話・・・?」

 反芻する麻衣に、亜衣はコクリと頷く。

 

「許されなくてもいい。むしろ私が恨まれるのは当然だから・・・

でも・・・ それでも私は生きたい。そして悪衣(あなた)にも生きてほしい。

どんな形でもいいから、存在してほしい。あなたが私と決着を付けたいなら、魂の世界から出た後でつければいい。

だから、一緒に外の世界へ出よう、って・・・ でも・・・」

 

  そう言って、亜衣は再び辺りを見渡すが・・・

 しかし、亜衣達以外、そこには誰も居らず、気配すらなかった。

 

「・・・・・・まさか、そんな・・・ 無理・・・ だったの・・・?

 悪衣は・・・ この世界に、存在できなかったの・・・? 消えちゃったの・・・?」

 

  亜衣は、そう自問自答を始めながら、思いつめた表情で頭を抱え、自分に問い詰めるように表情をゆがめる。

 

 

 そこに

 

 

「いや・・・ そうでもないようだぞ」

 不意に響く、ある男の声。

 

 

「「「「っっ!!?」」」」

 その場に居るほぼ全員が、その声の方向を振り向く。

 

 そこに、いたのは・・・

 

 

 

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

 

 

 

「カーマ・・・ それに・・・」

 

 そう、声の主は、カーマだった。

 そして、カーマの手に抱かれているのは・・・

 

 

「なっ・・・ 亜衣様が・・・ もう、一人・・・!?」

 状況を把握できない木偶ノ坊が、まず一番に驚愕を示していた。

 

 カーマの腕の中には、同じように、一糸纏わぬ姿の、全く同じ姿形の天津亜衣がいた。

 

 驚くのは、当然の話。

この瞬間、この場所に、二人目の亜衣が登場したことになるのだから。

 

 

「悪衣・・・」

 そう呟いたのは、亜衣。

 

 そう、カーマが抱いているもう一人の亜衣は、間違いなく悪衣だ。

 しかし・・・ カーマの腕の中の悪衣は、目を閉じたまま動きを見せない。

 

 

「悪衣は・・・ 大丈夫なの?」

 驚くべき事に、亜衣が最初にカーマに話しかけたのは、悪衣への心配の言葉だった。

 

「そう案ずる必要は無い。ただ、眠っているだけだ」

 対してカーマも、まるでいつもの会話のように、自然にそう応える。

 

 

「亜衣(おまえ)も、悪衣も・・・ 両方ともに、この世界に定着が成功したようだな。

 これで、天津亜衣という器が壊れることもなく、片方が消えることもない。

 ・・・お前たちにとって、正に理想の結果。奇跡が起きたというわけだ」

 

  そう。これこそ、三種の神器の、そして、麻衣、木偶ノ坊、仁の、そして二人の亜衣が起こした、奇跡。

 

 二人の亜衣、そのどちらかが消滅するという結末しか許されなかった筈の選択肢に、新たに作られた第三の選択肢。

 一つの器を二つにするという荒業で、ついに彼らは、世界に二人の亜衣を存在させてしまったのだ。

 

 

「危ない賭けだったが・・・ 賭けてみるものだな。

実際に、絵本の中のような奇跡が起こってくれた」

 

  疲労の色を残し、呟くように話す仁。

自らも驚きを隠せない様相を見せながらも、現れたカーマへの警戒を強めていく。

 

 

「絵本、か・・・  クッ・・・ ククククク・・・・」

 亜衣を抱えたまま、カーマは

 

 

「ハッハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!

 ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!」

 

  狂ったように、笑い始めた。

 

 

「まったく・・・ まさか、こんなやり方があったとはな!!!

 完全にしてやられた!! この結末は・・・っ これは実に・・・ そう、愉快だ!!!

ハァッハハハハ、ハ────ッハッハッハ!!!!!」

 

  カーマの笑いには、怒りは欠片も見当たらない。

 ただ、本当に・・・ 心の底から愉快そうに、笑っていた。

 

 

「・・・・・・・・・・・」

 対する4人は、そんなカーマの姿に、何の言葉も出せないでいた。

 それだけ、今のカーマは不可解で、触れ難く、近寄り難い、まるで何もかもが掴めぬものだった・・・

 

 カーマとは、一体何者なのか。彼の目的は、一体何なのか。

 一体何がしたくて、このような争いを起こしたのか。

 

 ・・・・・・なにもかもが、わからない。わからなすぎる。

 

「(カーマ、あなたは・・・)」

 そんな気持ちに駆られた亜衣が、カーマにそんな言葉をかけようとした、その時

 

 

う・・・ ん・・・

 カーマの腕の中の悪衣にも、微かに反応が生まれた。

 

「カー・・・ マ・・・」

「起きたか」

 

 目を開ける悪衣に、カーマも言葉をかける。

 

「わた、し・・・」

 

「状況はわかるな?」

 

「うん・・・ 

私・・・ 半分に、なっちゃった・・・」

 

 苦笑しながらそう言う悪衣の表情は

縛っていたものからようやく解放された安堵と、逆に、分かれ、半身になってしまった喪失の悲しみに包まれていた。

 

 

「だが、ようやく自由を手に入れたわけだ。

 ・・・それで、お前はこれから、どうする?」 

 

 そんなカーマの質問に

 

「あなたこそ・・・ どうするの?」

 悪衣は、そう答えた。

 

 それは、“自分は、カーマの行動に全てを委ねる”という意味である。

 

 

「俺は・・・」

 カーマの答えを、悪衣は静かに待っている。

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 そして亜衣達4人も、カーマの答えを、固唾を呑んで見守っていた。

 

 

 

「全て、滅ぼす。

 俺の目的の為の敵となる存在は、全てな」

 

  しかしその答えは、亜衣達にとって、最悪のものだった。

 

 

「そう・・・ なら、私も付き合う。・・・いいでしょ?」

「好きにしろ」

 

 本当に、とても、とても短かな会話。

 それが終ると、悪衣はカーマの腕から降ろされ、そのまま悪衣は、もう一人の自分、亜衣に向かい合う。

 

 

「悪衣・・・」

 対する亜衣の表情は、沈痛だった。

 

 亜衣は、魂の世界の中で、悪衣と懸命に話をした。

 ひたすら話し合って、自らの非も、罪も、亜衣は全てを認め、悪衣と共に魂を集め、二人へと分かれた。

 

 それは、悪衣に生きてほしかったから、消えてほしくなかったからに他ならない。

 しかし悪衣は、カーマと共に、亜衣達と戦うことを選んだ。

 

 それは、勝者がどちらにせよ、どちらかが残り、どちらかが消えることを意味する。

 

 

「残念なのは私も同じ。

 せっかくお互い、色んな事を話し合ったのにね・・・」

 

  悪衣の表情もまた、悲哀に満ちている。

 

 亜衣への憎しみも、怒りも変わらず悪衣の中には在る。

 しかし悪衣は、カーマの決断の言葉如何によっては、或いは自身の決断も変えていたかもしれないのだ。

 

 

「正直ね・・・ あなたが言う、3人での・・・ それもいいかもって、そう思いもしたわ」

「悪衣・・・」

 

「でも、それでも、私は────・・・!!」

 その瞳に、再び殺意と憎しみの獄炎を宿し、悪衣は、短刀を構え────

 

 

(トスッ・・・・!!)

 

 

「え・・・?」

己の決意を亜衣に語ろうとした刹那。

 その首筋に、衝撃が襲った。

 

 鋭利で、的確で、それでいて、よく手加減のされた、一撃。

 人の意識を奪うためには的確なに過ぎるその一撃で、悪衣の視界はぐにゃりと歪み、意識が白濁していく。

 

 

 一体、誰の不意打ちなのか?

 いや、そんなことは、わかりきったことだ。

 

 悪衣の後ろには、たった一人しか・・・ カーマしか、居ないのだから。

 

「カー・・・ マ・・・・  どう・・・ し・・・? ・・・・・・・・」

 失われていく意識の中、悪衣が紡げた言葉は、そこまで。

 

 糸が切れた凧の様に力を失い倒れようとする悪衣の身体は、カーマに抱きとめられる。

 

 

「悪いな、悪衣」

 カーマはそれだけ言うと、悪衣を適当な岩肌の上にもたれかけさせる形で座らせる。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・」

 そんなカーマの行動に、亜衣達も驚きを隠せない。

 

「さて・・・ 亜衣、麻衣」

 しかしカーマは、亜衣達に考える暇を与える事無く、二人の名を呼ぶ。

 

 

「・・・なに?」

 それに答えたのは、亜衣。

 

 

「俺は準備を整えた。

 決着は、それに相応しい者達が、それぞれに決められた舞台で、相応しい相手と演じるべきだ。

 残りの外野は、俺達の決着には邪魔でしかない。・・・わかるな?」

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 カーマのその言の意味を、麻衣は麻衣なりに、亜衣は亜衣なりに、理解する。

 

「カーマと決着を付けなくちゃいけないのは・・・

 私達、天津の巫女でなくちゃいけない。そういうことね」

 

立ち上がる亜衣の言葉に、カーマは沈黙で是と答え

 

 

「・・・そこの男」

 そして、仁を見据え、語りかけた。

 

「っ・・・!?」

 僅かに驚き、身構える仁に

 

「タオシーからの伝言だ。

“最後の術と仕掛けをもって、あの丘でお前を待ち構えている” ・・・とな」

 

  そう言って、カーマは親指で、遥か後方の丘を指差した。

 

「!? 薫が・・・!?」

 仁は、驚きを隠しきれない。

 

 今の今、この瞬間まで、ずっと気がかりでならなかった存在。名前。

 しかし・・・

 

「仁さん!!」

「っっ!?」

 

 突如、麻衣に大声で呼びかけられ、仁は慌て振り向いた。

 

「麻衣・・・?」

 

「仁さんが・・・ 決着をつけなきゃ、助けなきゃいけないんでしょう?

 なら、行かないと!! そうじゃなきゃだめですよ!!

 ・・・ここは、私達だけで決着をつけます。仁さんは・・・ あの子の元に、行ってあげて・・・」

 

  俯き、沈痛な顔で、それでも薫の元へ行けと、麻衣は言う。

 それは、彼女の中でどれだけの痛みを伴い、辛く、哀しい決断の言葉だったのか。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 目を閉じ、苦悩し、葛藤する仁。

 そして

 

「・・・・・・・・・ すまない、いや・・・ ありがとう。 行ってくる」

 決断した仁は、短く、そう告げた。

 

「・・・ぜったい、薫さんを助けて、無事に戻ってきて、下さい」

 

「・・・・・・ ああ。約束する。生きて再び会おう。

麻衣も、絶対に・・・ お姉さんと共に」

 

「はいっ・・・!」

 

 そして仁は、亜衣に無言で会釈をし

 

(タッ───・・・!)

 

 タオシーが・・・ 薫が待つ丘へと、走り出した・・・。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・」

 その背中を、見えなくなるまで見送ることもなく

 

「・・・木偶ノ坊さんも」

 続いて、麻衣は木偶ノ坊の方へと振り向いた。

 

「!?」

 麻衣が突然自分の名を呼んだ事に、驚く木偶ノ坊。

 

「・・・明奈さんの所に、行ってあげて」

 そして麻衣は、優しい笑顔で、そう言った。

 

「(明奈・・・?)」

 唯一その名を知らない亜衣は、疑問に思いつつも、それを口に出さず、様子を見る。

 

 

「麻衣様・・・!? それは・・・」

「私たちは、大丈夫」

 

 木偶ノ坊の反論を、麻衣は自分の言葉で封じた。

 

「それに・・・」

 麻衣の目線の先が、亜衣へと向く。

 

「・・・・・そうね。カーマは、おばあちゃんの仇。

 倒すのなら、それは私達の手で・・・ そうじゃないといけないわ」

 

  亜衣もまた、舞衣が何を言いたいかを、その目だけで理解していた。

 

「麻衣様・・・ 亜衣様・・・」

 二人の自分への気遣いの想い。

そして、それ以上にある、覚悟と、誇り。

 

それを前にして、木偶ノ坊になんの返す言葉があろうか。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わかり申した。

どうか・・・ ご武運を!!!」

 

  拳を強く握り締め、木偶ノ坊は深く姉妹に頭を下げる。

 そして、踵を返すや否や

 

 

(ドドドドドドド・・・・・・・・!!!!)

 

 

怒涛の勢いで、明奈たちの戦っている方向へと、駆けていった・・・

 

 

 

 後に残るは、亜衣と麻衣の、二人のみ・・・

 

「・・・二人きり、だね」

「・・・そうね」

 

 互いにはにかむ、二人。

 そして、再び戦士の、天津の巫女の顔で振り向く先には

 

 

「どうやら、舞台が整ったようだな」

 不敵に佇む、カーマがいる。

 

「カーマ・・・」

 

「これが俺達の、最後の闘いになる。

この日、この時・・・ 天津の巫女と、淫魔との決着がつくわけだ」

 

  そう・・・ 永らく続いた、天津の巫女と淫魔との戦い。

 それが、この戦いでようやく終わるのだ。

 

 例え勝つのが、天津の巫女であろうと、あるいは邪淫王、カーマであろうと・・・

 

「カーマ、あなたは、本当に・・・」

「黙って早く羽衣を纏え。いつまでも待ってはやらんぞ」

 

 亜衣の最後の問いは、カーマ自身によって遮られた。

 

「(・・・戦うしか、ないのね・・・)」

 そして亜衣も、決意を固める。

 

 今は、迷ってはいけない。

 目の前の最強の敵と、全力で戦わなくては・・・

天津も、安倍も、全ての退魔は滅し、この国の未来は闇に閉ざされてしまう。

 

 

「・・・お姉ちゃん。新しい舞、踊れる?」

 

「ええ。月読さ・・・ 月読に教えてもらったわ。

 全部頭に入ってる。・・・麻衣は、もちろんいけるわよね?」

 

「うん、もちろん」

 

「オーケー。・・・いくわよ、麻衣!」

「・・・うん、お姉ちゃん!」

 

 二人は頷きあうと、互いにあるものを取り出した。

 

 亜衣は、桃色のリボンと、月読から授かりうけた、八尺瓊勾玉。

 麻衣は、同じ色のミサンガと、天照から譲り受けた、八咒鏡。

 

 片手に神器を、片手に羽衣布を構え

天津姉妹は、新たな天津羽衣の舞を、舞い始めた───・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

  ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 

 

 

 

 

 

 

どうもお久しぶりです。作者のドミニアです。

今回はキリのいい所までなかなかいけなかったので、ロングもロング。

いつもは印刷用紙25〜30枚を目安にしていますが、今回は10枚分以上増量の42枚分です。

 

 作中時間について。

 作者がえらく長引いて書いているだけに、作中でもえらい長い時間が掛かっているように思われるかもしれませんが・・・

 実は、作中の時間はそんなに経過してないんですね、これが。

 

 まず、奈落篇から亜衣が悪衣になり、悪衣、麻衣が離別して麻衣、木偶ノ坊、神社で寝て一日経過。

 翌日に仁が尋ねてきて、愛媛に直行。静瑠が登場し旅館山神に泊まって2日目経過。

 その次の日は天岩戸で乱戦、三種の神器入手、葛葉が登場し、やはり山神で泊まり3日目経過。

 

 そこから更に修業に3日が経過し、今はなんと奈落篇からたった一週間後だったりするのです。

 参拾六にもなって7日。平均して一話4〜5時間でしょうか。一話一日どころか一話半日にもなってません。

 一話ごとに1時間の24時間戦う話と張り合えそうなようでそうでもないこの中途半端さ、正に作者の分身!!

 

 まあ、あのドラマ形式で書きでもした日には、深夜時間部分は・・・ キャラの皆がただ寝息立ててるだけでしょうが(ぉ

 

 ・・・あ、でも葛葉は絶対深夜アニメ見てますね。

いや、この真剣な状態の7日の間はどうかわかりませんが・・・ どうなんだろう。録画はしてそうだなぁ。

 

 

 さて、何はともあれ、亜衣奪還。姉妹新変身。仁は薫の元へ、木偶ノ坊は明奈の元へ。

 ストーリーは最クライマックスへと突入して参りました。

 

 カーマの真の目的とは一体何なのか。なぜ悪衣を眠らせたのか。

 そして薫と仁の、姉妹とカーマの決着の行方は・・・

 

 個人的には四拾(フォーティー)いくまでにそこまで書ききりたいところです。

 でもその更に先の、いわゆるエンディングまでを計算すると・・・ 確実に四拾越えるんですよねぇこれが。

 

 まさか五拾はありえないとは思いますが(でも弐拾後半の時も四拾はいくまいとか同じようなこと言ってたような

 

 まあその・・・ もうなるべく広がり過ぎないようにまとめて、いいかげん駆け足でゴールいきたいと思ってますので、

 最後までお付き合い頂けると幸いです。

 



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