旅館“山神”内   食堂

 

 

 

 

「おーい静瑠っ!! 牛丼おかわり頼むよ!!!」

 大ボリュームの牛丼をガツガツと高速でバカ食いしながら、おかわりを要求する明奈。

 既に明奈の座っている所の机には、数十もの牛丼の空きドンブリが積み重ねられていた。

 

「は〜いはい」

 大きなトレイに、牛丼を3つほど上に乗っけて、早足で駆けつける静瑠。

 一つずつではなく、一度に3つ運んでくるあたり、旧知の仲である事が知らされる。

 

 

「うわあ・・・」

 さっきまでスタミナ料理をたらふく食べていた麻衣も、その光景にはそんな声しか出ない。

 まるで、一昔前に流行したフードファイター。いや・・・ フードファイターですら、裸足で逃げ出しそうだ。

 

 

 片や・・・

 

「ご馳走様でした」

 量こそ普通であるものの、あっという間に食事を終わらせ、両手を合わせる風螺華。

 

「「早っ!!?」」

 近くにいた那緒と葛葉が、同時に同じアクションで驚く。

 

 実際、そう驚くのは無理も無い。

 祖父、瀬馬爺への挨拶から、椅子に座って1分経ったか経たないかというぐらいなのだ。

 それなのに、風螺華用の食事として用意された“山神定食”は、こっきり綺麗に消えている。

 

 

「風螺華も、相変わらず食べるん早いねえ・・・ もっとゆっくり食べてくれればええのに」

 ほんの少しだけ眉を寄せ苦笑しながら、定食を片す静瑠。

 

「いえ、私には銃のメンテナンスや肉体調整もありますから、あまり時間は。

 それに、食事は必要なカロリーが取れれば充分です」

 

「ハン。普段はカロリーメイトだのヴィダーだのだからなぁいつも。

 食事ぐらい楽しむ余裕は持てよ」

 

「一人で生態系を破壊している【暴食】の大罪主には言われたくありません」

 

「なっ・・・ 腹が減るのは仕方ねぇだろ〜〜っ!!?」

 二人の間に、再び火花が生じ始めた所で

 

 

「それはいけませんな」

 いつの間にか風螺華の近くにまで来ていたコック姿の瀬馬爺。

 

「お、お爺様・・・」

 さっきまで落ち着いた大人の雰囲気を纏っていた風螺華は、瀬馬爺の不意打ち的な登場に萎縮し、

完全に祖父に諭されてしゅんとしている孫娘の顔になっていた。

 

 

「確かに物事を早期に片付けるのも良いですが、食事はまた別ですぞ。

 特に米には一粒一粒に7人の神様と88の手間がかかっております。一口30回とまでは言いませんが、良く噛み味わうことはとっても必要なこと。特に私が農業を体験していた戦後すぐの日本では───」

 

 長〜〜〜〜く続く、穏やかな説法。

                                              

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

「すみませんお爺様・・・ 次からは気をつけます」

 

「いやいや、参考程度に思っていただければ結構。

 食事の仕方は最終的には人それぞれの自由ですからな。それに・・・

 前に注意した【食べ残し】については、しっかりと守ってくださっているようですし」

 

「・・・・・・・・」

 

「さて、それでは・・・ おや?」

「く〜〜・・・ く〜〜・・・」

 瀬馬爺が振り向くと、食堂には、説法をきちんと聞いていた風螺華とその場で眠りこけている葛葉以外、誰も見当たらなかった。

 

「みんな部屋に帰るか、風呂に行くか寝るかしちまったよ。話が長いからね」

 厨房の片付けを終えたらしい紫磨も、ぶっきらぼうにそう言いながら、自身も食堂をあとにする。

 

「あらら・・・ またやってしまいましたか」

 

「・・・チャンチャン☆ ・・・・・・ぐ〜〜」

 寝言ながら、オチをつける葛葉であった。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

        数刻

 

      旅館内  温泉  女湯

 

 

 

 現在、温泉に身を浸しているのは、二人。

 神藤静瑠と、不動明奈である。

 

 

「は〜〜〜〜っ! 極楽極楽ぅっと!!」

 熱く身に染み渡る湯の感触に、気持ち良さそうに唸る明奈。

 

「ふふっ。そう言うてもらえると重畳やね」

 隣の静瑠は、そんな少年的な明奈の動作に微笑んでいた。

 

 白桃の如く美しく白い、しなやかな曲線を描く肌に、一際大きくふくよかな胸を魅せる静瑠に対し

 

 一方の明奈は、健康的な小麦色の肌に、長身の上に理想的に引き締まっており、静瑠ほどではないにしても、きちんと小麦に焼けている大きな胸は、褐色ならではの美麗さを誇る。

女戦士として理想的な脂肪と筋肉のバランスが取れた勇美に溢れた肉体は、静瑠とはまた違った魅了性を持っていた。

 

 

 

「それにしても・・・ 静瑠。お前また胸でかくなったんじゃねーか?」

「そういう明奈も、背ぇ伸びたんと違う?」

 

「冗談じゃねえ。これ以上伸びてたまるかっての」

 頭の上に手をやり、自身の背の高さにうんざりする様子の明奈。

 

「そうやねえ・・・ ウチも、今でさえ重いのに、これ以上大きゅうなったら嫌やわ」

「・・・皮肉にしか聞こえねーぞ」

 

「ふふふふっ」

「・・・ハハハハハっ」

 

 互いに笑い合う、二人。

 

 

 

「・・・風螺華は誘わへんかったの?」

 

「あー、アイツはダメだ。温泉どころか風呂一つまともに浸かりゃしねー。

 毎回シャワーで済ます上にカラスの行水。しかもそれで体も髪もきちんと洗ってるってんだから恐れ入るぜ。

 食事といい歩きといい、忙(せわ)しなさ過ぎなんだよアイツは」

 

  やれやれとばかりに、明奈は風螺華をあーだこーだと語る。

 

「クスッ・・・ 仲ええね」

「あ? 風螺華と俺がぁ? 勘弁してくれよ。どこをどう見たらそう見えるんだ?」

 

 明奈は、風螺華との息の合った凸凹コンビぶりを、全く自覚していない。

 

 

 

「それにしても、ウチらが3人も揃わなあかんやなんてね・・・」

「ああ。俺達がこんなに揃って一つの戦いに当たるなんざ、もうそうそうある事じゃねえと思ってたんだけどな」

 互いに遠い目をする、静瑠と明奈。

 

「前に俺らが揃ったのは・・・ ああ、1年前か」

「1年・・・ あれからもう1年経ったんやね・・・」

 

 二人の表情は、暗かった。

 

「あれ以来、ウチらが5人揃う事は無くなってしもた・・・」

「ああ・・・ 4人になっちまったもんな」

 

「・・・・・・ いつになったら終わるんやろね・・・」

「静瑠・・・?」

 

「ウチらがどれだけ戦うても・・・ 犠牲を出しても・・・ 新しい戦いは次々やって来る・・・

 阿美(あみ)の犠牲は、何やったんやろね」

 

 視線を落とし、悲しみを瞳に宿し死者を想う静瑠の表情は、何とも痛々しいものがあった。

 

「・・・弱気になってんじゃねーよ」

 そんな静瑠を見てか、明奈のその言葉には怒気が混ざっていた。

 

「明奈・・・」

 

「俺達にゃ、泣き言なんて言ってる暇はねぇ。

 死んじまった奴らの為にも、今の平和な世の中をどうこうしようって奴らは、片っ端からぶっ潰してやりゃあいいんだ!」

 

  そう言って、明奈は空に向かって正拳を突く。

 ピッ、と。明奈の正拳突きは小気味良い音で大気を切った。

 

「ふふっ・・・ 明奈らしいね」

「おう」

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

     一方

 

   宿屋内  廊下

 

 

 

「はあ・・・」

 麻衣は、静瑠たちよりも少し早く温泉に入り、出て、髪を乾かし、一息ついて

 今は浴衣に着替え廊下を歩いていた。

 

 風呂上がりの麻衣の姿は、もう湯気こそ上がっていないがまだほんのり頬も赤く、独特の色気を醸し出している。

 

 そんな麻衣が、食堂を通りかかった時

 

「・・・あれ?」

 

 もうほとんど電気も消えており、人もいないように見えた食堂の中に、ぽつんと一つの人影。

 それは・・・

 

「・・・・・・ 葛葉・・・ さま?」

 最も窓に近い所にある、団子屋にでもありそうな赤い布をかけた長椅子。

 差す月明かりでぼんやりと映るその場所に、葛葉はいた。

 

 そう、僅かな月明かりではあったが、葛葉の姿はそれでもはっきりと見えている。

 なのに、麻衣は葛葉の名を呼ぶ時、問いを混ぜてしまった。

 

 それは、月明かりに映った葛葉の横顔が、まるで泣いている様に見えて

 その何とも言えず悲しい目つきが、いつものおちゃらけた葛葉の姿とは、まるで別人に移ったから。

 

 

「ん? お〜〜。麻衣か。 よし、こっちゃ来い」

 しかし、それは気のせいだったのか。

こちらに気付くと、葛葉は持ち前の明るさで陽気にチョチョイと麻衣に手招きをする。

 

「あ、はい・・・」

 その誘いに素直に従い、隣にちょこんと座る。

 

「何をしてたんですか?」

「いや、なあに。月に見蕩(みと)れとっただけじゃよ。ホレ」

 そう言って、葛葉は夜空を指差した。

 

「わあ・・・」

 そうして改めて夜空を見上げてみて、麻衣は小さな感嘆の声を上げた。

 

 その日は、綺麗な満月。

 真円を描く美しき月が放つ、淡く優しき月光。

 そして、人里離れた山奥に立つ場所であるが故の、夜空を埋め尽くす無数の星の光。

 

 麻衣は、これだけ多く星が見える夜空なぞ、見た事が無かった。

 だからこそ、言葉も出ないほどの感動を、その宝石よりも美しい夜空に覚えたのは事実である。

 

「な? 綺麗じゃろ? ここは、景色もそうじゃが夜空も絶品でなあ。

 昔から、たま〜にこうして月や星の光を見ながらちびちびと酒を頂くのが趣味なんじゃよ」

 

「本当に綺麗・・・

 ・・・お姉ちゃんにも、見せたかったな・・・」

 

  麻衣は、その美しい夜空を見ながら、今は隣にいない姉、亜衣への想いをはせた。

 

「・・・それは、わしら次第じゃな。

 まー、大丈夫じゃて。お主らならお茶の子さいさい屁のかっぱ〜じゃよ」

 

  カカカ、と。明るく笑って麻衣の肩をポンポン叩く葛葉。

 

「・・・そう、ですね」

 それにつられ、麻衣もすぐ笑顔になる。

 

 葛葉のすごい所の一つは、周りを明るくさせるムードメーカーとしての力にある。

 

 

「知っておるか? 人は死すと地獄か極楽かと教えられておるが・・・

わしら妖狐の昔の伝承では、死せば魂はあの無数の星の一つとして加わると信じられておった」

 

「へえ・・・ ロマンチックですね」

 

「まーのう。確かにロマンチックちゅーか、メルヘンじゃな。

 実際、遠いもので数億年。近いもので数百年前の輝きが今ここに届いておるわけじゃから、

 中には、わしが生まれた日に光った星の光もあるかもしれん。

 じゃとしたら、それはこのたくさんの中のどの星なのか・・・ そう考えると、淋しさも忘れて星を魅入るんじゃよ」

 

「淋しさ・・・?」

「あ、いやその・・・ ナハハ」

 一瞬見せた悲しげな表情を慌てて消し

 

「1000年以上も生きると、色んなものが変わって、わしとしては驚きの連続じゃったよ」

 葛葉は、新しい話題をし始めた。

 

「それこそ、人も、建物も、文化も、道具も、子供の玩具も、な」

「あ、少しわかります。私も同級生の話題とか付いて行きにくいし、ポッドも持ってないし・・・」

 と、言い掛けたところで、自分でそんなものとは次元が違うであろう事に気がついて、口をつぐんだ。

 

「おんやあ? おぬし持っとらんの? おっくれてる〜〜」

 しかし葛葉は、などと言いながらポッケから最新型を取り出し見せびらかす。

 

「え、ええ〜〜〜〜っ!!?」

 自分のお婆ちゃんよりも遥かに年を食っている人に、持ち物の近代的さで負けている事に、麻衣はショックを受けた。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

 その後も、麻衣と葛葉による何気ない会話が続いた。

 

「わしはな、人間というものはつくづく面白く、素晴らしいと思っておる。

わしが生まれた頃は地べたを歩き回る事しかしなかった人間が、どの獣よりも早く走る籠を作り、空を飛ぶ翼を手に入れ・・・

 今や、空を超え、あの月にさえ行けるようになった。 ・・・すごいのう、人間は。そんな事は、金毛九尾様でさえ考えつかなんだのに」

 

  酒をちびちびと頂きながら、葛葉は人間の歴史と偉業を褒め称える。

 

「はあ・・・」

 言われて見れば、確かにすごい事なのかもしれない。

 

 車も、飛行機も、宇宙に行くロケットにしても、麻衣にとっては【当たり前】として存在するもの。

 元からあるものだから、原理とかなんてものを真剣に考えた事もないし、飛ぶから飛ぶ、走るから走る、そんな感覚だった。

 

 しかし、遥か昔から生きてきた葛葉の感覚であれば、すごいと感じるのもそうだろう。

 平安時代に生まれた時からの常識が、次々と良い意味で打ち砕かれる。

 しかもそれが、自分よりもずっと短命な種族が成し得ているというのだから。

 

 

「この世界で最も連携のとれた群れを作った種族は人間じゃ。

 個の力においては大きく開きのあるものの、その代わり、人は代を築き上げ、系統樹を作り、文明を紡いでいった。

 個が死しても、それを後世に残し、様々な他の者と代を重ねていくことでな・・・

 狐の本能に従い、単独で生き、群れを作らぬわしら妖狐からすれば、とても考え付かん連携じゃよ」

 

「はあ、まあ・・・」

 話は難しめなものの。

麻衣は、なんだか自分が褒められているようで、むず痒いような嬉しいような気分だった。

 

 

「そういえば・・・」

 それまで聞きに徹していた麻衣は、素直に疑問に思っていたことを聞いていみることにした。

 

「ん? 何じゃ?」

「葛葉さま以外の妖狐の人達って、何をしてるんですか?」

 それを口にしたとき

 ほんの少しだけ、おちょこを手に持っていた葛葉の時間が、ピタリと止まった。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・?」

 

「・・・・あ、ああ! 他の妖狐たちな! あ〜・・・ うん。わからん!!」

 少しだけ間を置いて、葛葉はそう断言した。

 

「え・・・?」

「ま〜、そりゃ他の妖狐達の力添えがあれば、少しは

言ったじゃろ? わしら妖狐は群れん生き物でな。

 かくいうわしも、ついぞここ数十年他の妖狐と話した覚えがナイナイ尽くしのチャカポコリンで」

 

  変なフレーズを出しながら、苦笑する葛葉。

 

「・・・さ〜さ〜、明日も早いぞ? 今日はここらでお開き。

わしの話は火が点いたら止まらんし、長すぎるから次の機会じゃ。ま、早う寝とけ」

 そして、そそくさと徳利(とっくり)やおちょこを片付け、そそくさと退場する。

 

「あ・・・」

 ドロボウのような差し足なのに、ビックリするほどの早さで葛葉は消え、麻衣は独り残された。

 

「・・・・・・??(何か、変な事言っちゃったのかな、私・・・?)」

 とは思ったものの、そこにはもうその答えを教えてくれる人物もおらず

 麻衣は仕方なく、食堂を後にした。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

      宿屋内  廊下

 

 

「(葛葉さまが言うとおり、明日の為に、今日は部屋に入ってもう寝ちゃった方がいいよね・・・)」

 そう思いながら、麻衣が廊下の角を何気なしにくるりと曲がった所で

 

 

(ドンッ!!)

 

 

「わっ!?」

「あっ───!?」

 誰かにぶつかり、カラカラと何かが床を滑る音がする。

 

「あっ、すいませ・・・」

 反射的にぶつかった人物に謝ろうとした所で

 

「あ・・・」

 それの人物が、瀬馬風螺華さんだということがわかった。

 

「(やばい・・・)」

 と、麻衣は一瞬思い、硬直する。

 とはいっても、別に風螺華さんという人物に始めて会ったからというだけでなく、ましてや彼女の性格や人格が嫌いという訳でもない。

 

 ただ、肩書きを聞いたからというだけでなく、彼女は元より全身から【教師】のオーラを発しており、

一応現役の【生徒】である麻衣は、本能的に身構えてしまうのだ。

 

 怒られる・・・!

 そう思ってその場で気をつけの体勢になり、ごめんなさいと謝ろうと・・・

 

 

「あ、あれ・・・ メガネ、メガネは・・・?」

 したのに、予想していたものと、風螺華の行動は全く違っていた。

 

 自分の両こめかみを触り、眼鏡が無いのを確認するや、

なんと慌てて床に両膝をついて、手探りで眼鏡を探し始めたのだ。

 

 それも、自己紹介をした時からの威厳や風格や、【知的な美人】はどこに行ってしまったのかというほどの狼狽振り。

 オドオドとした目や、わたわたとした様子など、まるで小百合ちゃんを大きくしたような感じである。

 

「メガネ・・・ メガネ〜〜・・・ あれ、あれ・・・? どこ〜〜〜・・・?」

 よほど目が悪いのだろうか、まるで心臓を落としたかのように必死に眼鏡を探しているものの・・・

 手探りで探している床の部分はまるで見当違いで、遠くまで滑った眼鏡に対し、見事にお尻を向けている。

 

 

「・・・・・・・・・」

 そんな風螺華の様子に呆然としつつも

 

「(あ・・・ 私が拾わないといけない・・・ よね。うん)」

 

(カチャ・・・)

 

 状況をなんとか正常に把握して、風螺華のハーフリムの眼鏡を丁重に拾い上げると

 

「はい、風螺華さん」

 風螺華の手に握らせた。

 

「あ、あ、どうも・・・」

 眼鏡を手に握ると、風螺華は0.1秒の早さで、カチャリと音をさせて、それを装着する。

 

 そして

 

「・・・ありがとうございました。麻衣さん」

 すっくと立ち上がった風螺華は、まるで二重人格のように、すっかり元の【知的美人教師】の姿に戻っていた。

 

 

「・・・・・・・・・」

「・・・今、【面白いなあ】と思いましたね?」

 無言の麻衣に対し、風螺華は教師の静かな迫力でじっと見つめる。

 

「あっ、はい! あっわわ、じゃない、いいえ!!」

 的を得た問いに、嘘発見器いらずの麻衣は最悪の答え方をしてしまった。

 

「はあ・・・ まあいいです。ぶつかったのはお互い様ですから」

 ふう・・・ と、風螺華はやれやれという感情を全体で表現しながら

 

「ここで話すのも無粋ですね、私の部屋に来なさい」

 それだけ言うと、あっさり踵を返し、麻衣に背中を向けながらカツカツと革靴の音をさせ歩いていく。

 

「あっ、待って・・・」

 自然に歩いているのに競歩に近い早歩きに対し、麻衣は小走りでついていった。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

     旅館内  風螺華の部屋

 

 

 

「・・・私は元々、幼少期は気弱な性格だったんですよ」

 ゆっくりと自身のことを語りながら、冷蔵庫を開けて2本ほど飲料水を取り出す。

 

「読書好きで、運動も嫌いで内向的。しかも泣き虫で常にオドオドして酷いものです。

 まあ、そんな私もお爺様に心身ともに鍛えてもらった事で、今はこうして逢魔の戦士と教師業をこなせるようになったんですが・・・」

  片方の缶ジュースを麻衣に無言で渡し

 

「しかし、どこでどう間違えたのか・・・

お爺様から貰ったこの眼鏡が外れると急に不安になり、元のオドオドした私に戻ってしまうんです。

・・・私自身もこれにはかなり悩まされているんですが、22の現在になっても全く治りません」

 

もう片方、恐らく風螺華本人用の、ビンの烏龍茶は・・・

 

「あれ? 栓抜き取らないんです・・・」

 か。と麻衣が言い切るのを待たず

 

 

(シュポンッ!!!)

 

 

 なんと、瓶を持った親指の動きだけで鉄の栓を空中に飛ばし

 

 

(パシッ───!)

 

 

 左手で空中の栓をキャッチするという曲芸に近い技を、当たり前のように涼しい顔でやってのけた。

 

「? 何か言いましたか?」

「あ、いえ・・・」

 当然、そんなものを見せられて麻衣に二の句があるわけが無い。

 

「(明奈さんの方も、こんな空け方するのかな・・・?)」

 と、麻衣がふと考えた所で

 

 

「あの空手バカさんは、指先はまるでダメですね。私の知る限りタイピングやチョウチョ結び一つ満足に出来ません。

しかも瓶となるとすべて手刀で開けようとするのだから困ったものです」

 

「ああ、そうなんですか。へえ〜〜・・・ ・・・あれ?」

 今、私・・・ 口に出したっけ?

 

「教師をやっていると、生徒の年代の子が考えていることぐらい表情を見れば分かります」

 と、風螺華は麻衣の疑問に完璧に答えつつ、冷えた烏龍茶をコップに注ぎ、上品に飲み、喉を潤す。

 

「特に、あなたは思っていることが顔に出る上に、嘘が付けないタイプのようですしね」

「・・・否定しませんです」

 これまでの数々の失敗も含めて、小さく縮こまりながら、お婆さんのようにジュースを啜る麻衣。

 

「それにしても、百聞は一見にしかずとはよく言ったものです」

「え?」

 

「聞いた情報では、天津の巫女は伝統と神聖を重んじるが故に、世相と離れた識と価値観を持っていると聞いていました。

 ・・・しかし、実際に天津の巫女であるあなたを見てみると、私がかつて受け持った生徒と何も変わらない。

 どこにでもいる花の様な少女・・・ そうですね、さしずめタンポポやヒマワリといったところですか」

 

「はあ・・・」

 

「安倍歴史上稀に見る、正式な天津と安倍の共闘という報を聞いた時は内心驚きましたよ」

「え・・・ 何でですか?」

 麻衣は、素直に疑問を口にした。

 

「・・・? ひょっとして・・・ 何も知らないんですか?」

 

「ええと・・・ 安倍っていう退魔機関があるのも、最近知りました。

 こんな頼りになる人たちがいたのなら、もっと早く一緒になればよかったのに、って」

 

 

「ああ・・・ どうりで。しかしそれは頂けませんね。

 正体も良く分からない組織に付いて行ったんですか?」

 

  別に風螺華は怒っているわけではない。

 ただ、教師の目線における純粋な心配である。

 

「えっと、その・・・ 確かにそうなんですけど・・・ 

仁さんは、一目見て優しい人なんだなって、思ったので・・・」

 

 そう、それは間違いない。

あの時、仁さんは信用できると、そう思ったから・・・

 

「ああ・・・ なるほど。

 群ではなく、個の人物を見て決めたわけですか・・・ 確かに仁君ならわからなくもない」

 

「でも私、瀬馬さんも梗子さんも、静瑠さんも・・・ みんな、すごくいい人で、優しい人だと思います。

風螺華さんも・・・」

 

「ふふ、そうですか、それは光栄ですね。

 ・・・戦いが終わった後は、遅れた分の勉強は私が家庭教師をしてあげましょう」

 

「ええと・・・ そ、それは勘弁して下さい」

 

「ははは。勉強は嫌いですか? まあ、好きな人はそうそういないでしょうが・・・

それはともかくとして、安倍の事を知らないというのはよくないですね。

歴史というのは重要です。特に、自分の祖先やそれに関わりのあるものに関しては尚更のこと」

 

「はあ・・・」

 

「では、手短にお話しましょう。安倍と天津の旧くからの確執を」

 

 キラリと、教師の目つきになった風螺華が、眼鏡をキラリと光らせ、語り始めた。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

 天津、そして安倍。

 その二つは、共に平安時代の京から生まれた退魔機関である。

 

 羽衣の天女を起源とした神聖なる天津に対し

安倍はその元を辿れば、妖狐葛の葉と人間安倍保名の合いの子。言わば妖かしの血。

 

妖かしと淫魔の隔たりがより曖昧であった当時。

天津と比べ安倍に対する風評の中には、化け物としての悪口や畏怖なども決して少なく無かった。

 

それを払拭する為、安倍は清明がかつて築いた地位を、より多くの功績を以ってして・・・

退魔としての存在を誇示し、時の権力者に結びつく事で磐石にし、命脈を保たなければならなかったのだ。

 

その為には確かに手段を選ぶ余裕は無く、陰陽道以外にも様々な技術、情報、武器。

長い歴史を通して、日ノ本の国が鎖国を解くより以前から必要なものを入手し、吸収し

利用できるものは出来うる限り利用していったのも事実である。

 

 

その内の一つに、【殺生石伝説】が関連していた。

 

久寿と呼ばれていた平安1100年代。

時の権力者、鳥羽上皇が急に病に付し、当時の医師では原因不明とされた中。

当時安倍最高の実力者であった安倍康成は、鳥羽上皇のその妻、玉藻前(たまものまえ)を

かつてインドで【華陽婦人】(かようふじん)。中国において【妲己】(だっき)と呼ばれ、国家元首を病に倒れさせ、反乱大量虐殺を発生させた金毛九尾(きんもうきゅうび)の狐であると霊視した。

 

そうして玉藻前は安倍康成を参謀とする軍に追われ、天地を騒がすほどの戦乱を繰り広げた後・・・

やがて力尽き、その死した肉体を幾欠片もの岩へと変じ、【殺生石】となり死す事で、何千年もの金毛九尾の狐の伝説に終止符を打った。

 

 これにより、【安倍の力は清明だけに非ず】を康成は見事に平安の京に広め、

安倍一族の更なる恒久の繁栄への足がかりを作ったと同時に、妖狐の中では神とさえされ崇められた玉藻前を殺すことで、自身の一族が妖狐の血を持つ者ではないという証明も行えた。

 

 

 

言わば、康成は自身の一族の繁栄の為、紛れも無い己の中に流れる妖狐の血の神を殺したということになり

玉藻前は、当時の安倍や他の無知なる平安貴族や武士達に利用され、退治されたという事になる。

 

その証拠として、伝説上では鳥羽上皇は玉藻前の死と共に回復したとされているが、

実際は玉藻前が側にいた時こそ病状が安定しており、更には玉藻前の死により悪化の一途を辿った末、2年後に没した。

とどめに、鳥羽上皇の死後に至っては、兼ねてより計画されていた謀反(クーデター)も発生している。

 

有名な話として、玉藻前の死後の姿である殺生石は、毒を吐き、石に近づく全ての生き物を殺したとあるが

これもまた、実際には付近にある火山から発声した有毒ガスが原因であると判明した。

 

更に言及すれば、インド、そして中国においても、

かつて金毛九尾の狐が近づいた政権では、政治混乱の火種はそれよりも前から兼ねてより燻っていたのは、正式な歴史が証明している。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

「そこからは、現在の安倍に残る文献や記録を調べるまでもありません。

 英雄として伝説にまで名を残した安倍の功労者、安倍康成は、道徳上では最低の人物だったわけですよ」

 

「そんな・・・」

 酷い話が、あっていいのか。

 

「そして、そんな利己主義な安倍と、ただ純粋に魔から京を、人を守ろうという理想に徹した天津と・・・

 そんな相反する二つの団体が、互いに手を取り合えるわけがありません。

 よって、1000年を超える歴史上、天津と安倍は一度たりともまともに提携を結んだことは無いのです」

 

「それじゃあ、その・・・ 葛葉様って・・・」

 さっきの葛葉様の、話は・・・

 

「葛の葉様・・・ ですか?」

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

「なるほど・・・ 葛葉様はそういう風におっしゃったのですね」

「はい」

 麻衣は、簡潔に先程の会話の内容を風螺華に伝えた。

 

「あなたの考えるとおり、葛葉様の言葉は・・・ 嘘です。

 いくら単独生活が主である妖狐といえど、横の繫がり程度はある」

 

「じゃあ・・・」

 

「お爺様から聞いたことですが・・・

元々、葛葉様とご先祖様である保名様との恋は、妖狐族の中でも禁忌とされていました。

寿命がまるで違う種族では、悲しい死に別れは当然。そして、必ず災いが起こるとも言われていたそうです。

葛葉様は、それをわざわざ破った。本来はそれだけでも妖狐族との離反を意味する。

 

 そして、更に悪い事に、実際に災いは起きました。

 妖狐族にとって髪である、白面金毛九尾の狐の死という形で」

 

「・・・・・・・っ」

 

「それで妖狐族が葛葉様を許せるわけがない。

 そしてそれを誰より知っていた葛葉様は、自ら妖狐族との永遠の離別を選んだのですよ。

 そして葛葉様は、それ以後、一度も自分以外の妖狐に出会っていないのだそうです」

 

「そんな・・・」

 

「もちろん、それは葛葉様にとって、永遠の孤独を意味します。

 ・・・葛葉様が普段明るいのは、そういった内にある寂しさや心の傷を、私達や自分に隠す為なのですよ。

 私達に、罪の意識を感じて欲しくない為に」

 

「・・・・・・ それじゃあ、私・・・」

 すごく余計なこと、言っちゃったんだ・・・

 

 葛葉様は、その時どんなに辛い思いをしたんだろう。

 心に、どれだけの傷を負ったんだろう。

 そして、その葛葉様の中にある古傷に、不用意に触れたのは、私・・・

 

 

「・・・あなたは、本当に優しい子なんですね」

 その時、風螺華は初めて微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ。葛葉様は気にしていないと思います。

 それでも謝りたいと言うのなら、それは明日にして、今日は寝なさい」

 

「・・・はい」

 そうして麻衣は立ち上がり

 

「ありがとうございました」

 一礼をして部屋をあとにしようとしたところで

 

「あ、ちょっと待ちなさい」

 と、風螺華から待ったの声。

 

「・・・・・・??」

 

「・・・眼鏡のことは、くれぐれも内密にお願いします」

「あ、ええと・・・ はい」

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

       一方   

 

    旅館内  温泉  女湯

 

 

 

「それにしても・・・」

 

「正直、ガッチガチが噂の天津にしちゃ、あの麻衣って嬢ちゃんはふっつーにいる女子高生にしか見えねえよな」

 

「・・・でも、あの子もウチらと同じものを背負うてる」

「たまらねー話だよな。俺達が血反吐吐いて戦ってきたのは、そーいう後輩を出さねえ為だってのによ」

 

 

 

「・・・ねえ、明奈」

「ん? 何だよ」

 

「・・・・・・ 初めての人のこと、覚えてる・・・?」

 

「初めて? あ〜〜・・・ 覚えてね〜なぁ。

 恐竜の小さいヤツみてぇな淫魔だった気もするし、蜘蛛人間って感じの淫魔だったような気もするし・・・」

 

  明奈は、まるで10日前の食事の話しでもするかの如く、そんな事を語る。

 

「・・・呆れた。 でも、明奈らしいって言うたら、そうやね」

 

「俺ぁ、嫌な事はさっさと忘れる主義だし、実際忘れちまうからな。

 アレだよ。【犬に噛まれたと思って〜】ってヤツさ。

 俺達は女である前に逢魔。それ以外の道なんて、今はともかくあん時は選べなかっただろ?」

 

「・・・せやから、明奈はなるべく、気にしいひん、前に進む生き方を選んだ・・・」

 

「ハハッ。そんな格好いいモンじゃねえよ。【女】を意識できなくなった女なんざ、痴女さ痴女。

 特に俺なんか、時々自分が女って事も忘れちまうし、本気で男と間違われることもあるしよ。

 那緒のヤツも、どうして俺みてーな下らねえ女に憧れるかな」

 

  ふあ〜〜・・・ と、口を大きく開けて欠伸をする明奈。

 

 

「でも、ウチは・・・ 明奈が羨ましい」

 

「・・・ハァ!? 俺がぁ? おいおい。俺なんか・・・」

 そこで、明奈は気が付いた。

 

「静瑠、お前・・・ まだあの時の事・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 沈痛な面持ちで、静瑠は明奈から目を反らし、視線を落としている。

 

「・・・そーだよな。静瑠は、忘れられねーよな・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

「けどよ。いつまで昔の相手の事引きずってんだよ!

それに、アイツは静瑠の事・・・ それに、静瑠の親父だって・・・!!」

 

「言わんといてっ!」

 

「っ────・・・・・・」

 静瑠の大きな声で、明奈は言葉を失った。

 

「ラシャは・・・ ラクシャーサは・・・ うちは、それでも・・・」

 ぎゅっと自身の肩を寄せ、顔に苦しみを浮かべる様は何とも痛々しく

 

「静瑠・・・」

 明奈は、それきり何も言えなくなってしまった。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 

 続く沈黙。

 

 そして

 

 

「・・・・・・ 先に上がるよ。・・・静瑠。湯当たりするなよ」

 静かな温泉の中。 ざばっ、という音を立てて

 明奈は、静瑠を残し温泉を後にした。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 風呂から上がり、ささっと体を拭いて、タートルネックのシャツと紺色のズボンに着替える明奈。

 その顔は苛つきに満ちていた。

 

 誰に怒ればいいのか分からない。

 静瑠に怒るのも違う、自分に怒るのも違う。そして、彼女の心を捉えて離さない奴は、とっくにこの世にいない。

 

 静瑠は今でも苦しんでいる。

 しかし、拳でしか何かを守る術を知らない自分にとって、静瑠の苦しみを取ってやる方法なんて思いつきもしないのだ。

 

 何も出来ない。これじゃあ8年前と変わらない。

 誰よりも、自分がライバルだと思ったどんな奴よりも強くなったつもりでいたのに

 その癖自分の力で、親友一人救えやしない。

 

 1年前の阿美の命も、すぐ近くにいる静瑠の心も

 いつだって自分は、うんざりするほど無力なんだ。

 

 

「・・・・・・・・・畜生っっ!!!」

 

(ドカァッ───!!!)

 

 

 激情に任せ、壁を思い切り殴る。

 

 鍛え込まれた明奈の拳は、コンクリートの壁を陥没させ、皹を与え、パラパラと破片が舞い落ちた。

 

 

「くそっ・・・!! イライラするぜ・・・」

 イライラを抑えられず、頭を掻きながら脱衣所を出て、【女湯】の暖簾をくぐる。

 

 すると、その先には

 

 

「おや、早かったね」

 長椅子に座り、キセルで一服する紫磨と

 

「んむ〜〜〜〜っ!!! ぬむむ〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」

 縄でぐるぐる巻きにされ、猿轡までされている鬼麿の姿が。

 

「・・・・・・何してんだ?」

 さしもの明奈も、顔に?マークを浮かべた。

 

「決まってんだろ。女将として旅館の秩序を守ったまでさ」

「む〜〜〜っ!! む〜〜〜〜っ!!!」

 

「あ〜・・・ なるほどな」

 それだけ聞けば、何があったか分かるには充分だ。

 

「静瑠はもうしばらく入ってるみてーだから、それまで頼んます」

「言われるまでもないね」

 

「んじゃ、オレは先に・・・」

「明奈」

 早足で通り過ぎようとした所で、紫磨は明奈を呼び止めた。

 

「気持ちは分かるけどね。

静瑠の古傷は、もう少しゆっくりと時間をかけるしかない。・・・母親の私でも無理なんだ。しょうがないさ」

 

「・・・・・・・・・」

 明奈は、紫磨に振り返れない。

 

「それとね。自分を責めてるようだから特別に言ってやるよ。

 私も静瑠も、アンタにゃ感謝してるんだ。随分助けられてるからね」

 

「オレが・・・?」

 

「ったく、やっぱり気付いてないんだね。

 ・・・もういいよ。さっさと行きな」

 

「いや、ちょっと待ってくれよ。オレが助けてるってどういう・・・」

「(ギロリ)」

 明奈が質問を言い終わるよりも前に、紫磨の眼光が毒蛇の迫力を帯び出した。

 

「・・・ 寝ます」

 明奈でも、紫磨の蛇眼の迫力にはさすがに負ける。

 

「せいぜい、いい夢見るんだね」

 と、労いとも怪しい紫磨の言葉。

 

「・・・(絶対ぇ蛇に巻きつかれてる夢見るな・・・)」

 などと考えながら、明奈はその場を後にした。

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・ 癪な話だよ。母親に出来ることなんて、たかが知れてるね」

 残った紫磨は、そんな事を呟いた。

 

「むっ、むっ、むっ────」

 そして、ぐるぐるに縛られた状況で、鬼麿はみの虫のように隙を突いて女湯に入ろうと───

 

「・・・ったく」

 するのを見逃さず、紫磨は縄の端を思いきり引っ張る。

 

「むあ〜〜〜っ(のあ〜〜〜っ)!!?」

 ずりずりと、まるで野球部の引っ張るタイヤのように引きずられる鬼麿。

 

「そんなに入りたいなら、男湯の柱に括りつけてやるよ」

 

「む〜〜〜っ(ぎゃ〜〜〜っ)!!

 むい(麻衣)〜〜! ふぇふのほ(木偶ノ坊)〜〜!! はふへへふへ(助けてくれ)〜〜〜!!!!」

 

  鬼麿の猿轡越しの悲鳴は、淋しくその空間に木霊した。

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

      旅館内 ロビー 自販機前

 

 

 

(ガタンッ───)

 

 

「よっと・・・」

 自販機の中に腕を突っ込み、サイダーの缶を掴み取る明奈。

 

「風呂上りはやっぱ、炭酸だよな」

 風呂上りには炭酸。

 それは、明奈のこだわりの一つである。

 

 もう一つのこだわりに、風螺華の言うとおり【ビンは手刀で開ける】というのがあるが、

 生憎目の前に並ぶ自販機にはそういう品は無い。

 

 プシッ・・・ と音をさせて、プルタブを起こし、どっかと長椅子に腰を下ろす。

 

 

 そこに

 

「あ・・・」

 木偶ノ坊が、偶然歩いてきたのだ。

 

 

「・・・よ、よう!」

 その場で声をかけることにした明奈。

 

「・・・・・・ !?」

 角度から、明奈に気が付いていなかった木偶ノ坊は軽く驚いた。

 知らぬ女性から声をかけられるなど、彼の人生において初めてなのだから無理もない。

 

 

「む・・・ あなたは、明奈様?」

 しかもそれがろくに言葉も交わしていない意外な人物であることに、木偶ノ坊は丸い目をさらに丸くした。

 

「様!? ハハッ、明奈でいいよ。

あーその・・・ 飲んでけよ」

  たまたま自分用に買っていた2本目を手に取り、木偶ノ坊を誘う。

 

「は、はあ・・・」

 多少緊張しながらも、木偶ノ坊は明奈に示されるように、隣に座り、サイダーを受け取った。

 

 

 

「そういえば、明奈・・・殿は、鬼麿様をこちらまで送って下さったそうで。

おありがとうございますぞな」

 

  女性と離すことにはなれていないものの、礼儀は正しい。

 深々と頭を下げ、感謝の意を述べる木偶ノ坊。

 

「ああ、いーよいーよ」

 対して明奈は、何でもないという風に手を振る。

 

「・・・それで、時に、ご迷惑などは・・・」

 

「ああ、あのエロぼーずな。

 俺はそうでもなかったけど、風螺華は苦労してたみてーだぜ」

 

「く、苦労・・・」

 

「ああ。新幹線の給仕さんだろーが切符切る人だろーが、美人と見るや片っ端から飛び込んでいくわ。

 行く道中で下ネタやセクハラを風螺華や他の女にかますわ。退屈だっつったらジタバタするわ。他にも・・・」

 

「も、申し訳ございませんぞな・・・」

 木偶ノ坊は椅子の上で正座になり、深々と頭を下げる。

 

「あー、俺は別にいいよ。骨折ったのはほとんど風螺華の方だし、俺は大体寝てたし」

 ハッハッハ。と。

 豪快に笑い飛ばす明奈。

 

「・・・・・・・・・」

 しかし、ここからどうしたものか。

 

「(あー・・・ 話題がねえなあ・・・)」

 ・・・ん、待てよ? 確か本に、初対面の相手と話して話題がなくなった時は・・・

 

「そーだ。アンタのこと教えてくれよ」

 そうそう、相手の事を聞くべしって書いてあった。

 

「は・・・? 某の事、でございますか!?」

 木偶ノ坊にとっては、かなり意外な展開である。

 これまで、自分の事を尋ねてくれる女性など、いたろうか?

 

「・・・? なんか不都合でもあったか?」

「いやいや、そんなことは! そうですな・・・ 某は・・・」

 しどろもどろながら、木偶ノ坊は自分の事を語り始めた。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

 木偶ノ坊は、短い時間で簡潔にあらかた話した。

 捨て子であること。きちんとした名前が無く、木偶ノ坊というあだ名が定着したこと。

 幼き頃より天神の末裔の守護という役割のために鍛えられたこと。

 

 そして、山での鬼麿様との生活。天津姉妹との出会い。数々の戦い。

 そこから、己の一度目の死と、奈落。亜衣の淫魔化や、天岩戸での出来事までを。

 

 

「ふうん・・・ なるほどなぁ」

 木偶ノ坊の身の上話を、明奈は真剣に聞き込んでいた。

 特に明奈が感心したのは、話の節々からわかる木偶ノ坊の義に厚い心と、

仲間や主を身命を賭してでも助けようとする純真さとひたむきさ。

 

その魂が篭もった熱弁と、そこから視える闘う漢の姿に、明奈は次第に、目の前の漢の内面に惹かれていった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 あらかた話し終えた時、木偶ノ坊はふと明奈の瞳に目が行く。

 

 明奈は、話を聞く際は通常より目を大きく開く癖がある。

 それが、なんだか無邪気な子供のような可愛さを持っており、距離も近いことから木偶ノ坊は急に顔を赤らめた。

 

 

「けっこう、オレとアンタは似てるとこあるんだな」

 明奈は、自然とそんな事を言い出す。

 

「似ている・・・?」

 

「ああ、オレもわりと運命とか役割とか、そういうので生まれて闘ってきたからさ」

 

「そういえば・・・ 明奈殿は武神剛杵の使い手のお一人とお聞きしましたが」

「ああ」

 

「武神剛杵の使い手というのは、全員で何人ほど・・・?」

「そーだな。今は・・・ 4人」

 

「今は・・・ 4人・・・?」

 明奈の含んだ言い方に、木偶ノ坊は疑問を持った。

 

「ああ。一人死んじまったんだ。今からちょうど・・・ 1年ぐらい前に。

 強い淫魔との戦いでさ・・・ オレ達はほとんど歯が立たなくて全員死ぬとこだった。でも・・・

 【文殊】の使い手の阿美って奴がいて、阿美は・・・

自分から霊力を暴走させて、敵の淫魔と一緒に吹き飛んだんだ。肉の欠片一つ残さずに。

 おかげで俺たちは助かったけど・・・」

 

  明奈は、空になったサイダーの缶を、くしゃりと握り潰した。

 

「阿美はさ。俺達の中で一番若かったんだ。・・・17だぜ?

 酒の味だって知らねえ。恋の一つだってしてねえ。・・・たまんねえよ。

 今だって、「どうしてあいつなんだ。どうしてオレじゃなかったんだ」ってよく思う」

 

  静かに天井の方を見つめる明奈。

 その瞳には、在りし日の仲間の姿が映っているのだろうか。

 

「明奈殿・・・」

 

「だからさ。大切な人や、仲間を失ったっていう木偶ノ坊の気持ちは、よくわかるぜ」

 明奈は、木偶ノ坊を見、微笑んだ。

 

「・・・・・・・・・///////

 その笑顔は、木偶ノ坊にとってこれまでになく、魅力的なものだった。

 

 

 

「さあて・・・ よっ、と」

 反動をつけて、明奈は長椅子からさっと立ち上がる。

 

「悪ぃね、引き止めて。おかげでいい感じで時間が潰せたよ」

「いや、こちらこそ・・・」

 

「あ、そうそう」

 明奈は、思い出したように

 

「俺、本気でアンタを好きになったよ」

 と、笑顔で本心を告げた。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ !!!??」

 木偶ノ坊は、当然心臓が飛び出すかというほどに驚いた。

 

「は!!? な、な・・・!!?」

 木偶ノ坊が驚くのも無理はない。

 何しろ、二十数年生きてきて、確実に生まれて初めて異性から聞いた【好き】なのだ。

 

「何驚きまくってんだよ。俺だって22年生きてきて初めて男に好きだっつったんだぜ?

 ・・・それとも、俺みてーなデカ筋肉ゴリラ女は嫌か?」

 

「い、いいいいやそんな、滅相もございませぬぞな!」

 

「じゃあ、他に好きな奴がいるとか?」

 

「え、いや・・・ ・・・・・・」

 言い掛けたところで、木偶ノ坊は、こういう場では心のままに言葉を告げようと決意した。

 

「その・・・ 密かに心寄せていた相手はいたぞなもしが・・・ それも、某にとっては遥か高き高嶺の花であり・・・。

 この熱き想いは胸に秘め、お二方がそれぞれに相応しい御相手を御見つけになるまで見守る・・・

それこそ、某の本懐と思い至った次第でございますぞなもし」

 

「ふうん・・・」

 顎に手を当てて、明奈は考える仕草をする。

 

「その相手って、天津の姉妹だろ?」

「!!? ななな、何故・・・!?」

 

「いや、他にそれっぽい奴なんていねえし、ハッキリ【お二方】なんて言ってたじゃん。そりゃわかるって」

 ハハハハ、と。白い歯を見せて笑う明奈。

 

「は、はあ・・・」

 

「ってことは、木偶ノ坊は実質フリーって事か」

「・・・は・・・ ええとその・・・ まあ・・・」

 

「じゃあ、オレが立候補しても断然構わねえよな?」

 ぐいっと。自分の顔を近づける明奈。

 

「・・・! あ、あののその・・・」

 これまでにない女性の顔との距離に、木偶ノ坊は困惑する。

 

「まあ、俺も男と付き合ったことは実は一度もねえしさ、俺達そういう意味では似たもの同志で相性いいと思うぜ?

 まずは今回の戦いが終わりゃあ、メシでも遊園地でも行こうぜ」

 

「は・・・ しかし、某なぞで、本当によいぞなもしか?」

 女性の方から、それも、美人と言える部類の方からの誘いに、木偶ノ坊はいまだに信じきれていなかった。

 

「オイオイ。よいもクソも、最初からアンタに話してるんだぜ?」

 と、明奈は木偶ノ坊を指差し、それを明確にする。

 

「じゃ、おやすみ」

 そうして、明奈は木偶ノ坊の返事も聞かぬまま、ダッシュでその場から消えた。

 

「あっ・・・!?」

 取り残された木偶ノ坊は、しばらくその場にボ───っとするしかなかった。

 

 

 

 

  ◇    ◇

 

 

 

 

     一方

 

   明奈の部屋

 

 

 

「は────っ は────っ・・・・・・」

 畳の上で、明奈は荒く息をしながら、その場にへたり込んだ。

 

「は、はは・・・ こんな、心臓が爆発しそうになったこと・・・ 初めて、だぜ・・・」

 余裕のない笑いを浮かべながら、深呼吸をして

 

「まさか、オレが告白や恋だなんてなぁ・・・

阿美・・・。お前のお陰だよ。オレに、チャンスをくれて、ありがとな・・・」

 

  明奈は、その日初めて阿美に対し、謝罪の言葉でも、悔やむ言葉でもなく

 感謝の言葉を述べ、目を閉じ、眠りについた。

 

 

 

 

◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 

 

 

 

 変な尻切れですが、いよいよ次から決戦へ。

 

 新規キャラ、既存キャラそれぞれの【古傷】。そこから見える戦士達の過去をテーマにしたなんともクソ真面目な話。

 エロをやる最後のチャンスだろうに、色々やってたらエロを入れる隙間がなくなりました(えぇー

・・・エロありきの淫獣聖戦で何やってるんだ自分は  OTL

 

 清々しいぐらいに既存キャラの影が薄いなぁ・・・ 木偶ノ坊の過去をまた勝手に作っちゃったなあ・・・ う〜〜ん。

 



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