淫獣聖戦 偽典 「繭地獄」 4 |
登校した亜衣は、教室で昨日叔母に言われたことを考えていた。同じ言葉がぐるぐると頭を回る。悩んでも仕方ない。やや、心の平安を取り戻した亜衣は、異変に気づいた。もう一限目の時刻だというのに、ホームルームが始まらないのだ。それに、妙に周りがざわついている。級友を捕まえて問いただす。 「何かあったの?」 「二組の真田さんが襲われたんだって」 「襲われた?」 「今日の朝、商店街で全裸で発見されたそうよ」 「ぜ、全裸?」 そのとき。放送用スピーカがが、ジジジと前触れを鳴らした。 「ただいまより、緊急全校集会を行います。生徒の皆さんは、講堂に集合して下さい。繰り返し・・・」 そんなこと聞いてないよ、そう言った怒号が上がる。が、致し方なく三々五々、生徒達は講堂に集まった。ざわざわと私語が止まない中で、学園長が登壇した。 「皆さん。もう知っている人もいると思いますが、二年二組の真田由香里さんが、昨夜何者かに乱暴を受け、朝発見されました。命には別状ありませんが、心に深い傷を受けました。どうやら、この物騒な時期に夜単独で外出したようです。あなた方はただの女子高校生ではありません。天神に仕える身なのです。そのことを決して忘れてはなりません」 結局噂は概ね正しかったが、詳細は敢えて伏せているのだろう、情報が少ない内容だった。放課後、天神子守衆のコネクションを利用して、情報を集めさせた。 夕方。天津屋敷広間。亜衣と麻衣、それに巫女弟子の菖蒲が集まっていた。 「すると、全裸で発見というのは本当だったのね」 「はい、お嬢様。警察の協力者によれば、一糸纏わぬ姿で、商店街に倒れていたところを新聞配達の少年が発見したとのことです」 ふーむ。今日は普段着の姉妹が顔を見合わせる。 「それで容態は?」 「心因性のショック状態で、意識はあるものの、受け答えできないほど混乱しているようです。外傷は、いくつかの擦り傷があり・・・その、性器にも・・痕跡はありましたが・・・今回が初めてではなかったようで。その」 亜衣も麻衣も、目を瞬く。 「陵辱をうけたと言うことね」 「そうです。亜衣お嬢様。ただ」 「ただ?」 「膣内から、残留精液は検出されませんでした」 うーん。麻衣が低く息を漏らす。 「どこに行くつもりだったのかしら。あの商店街は、八時にはほとんどの店が閉まってしまうし」 「それについては?」 「母親には、学校に行って来ると言って、七時くらいに家を出たようです」 「忘れ物でもしたのかなあ」 「真田さんの言葉を、正直に捕らえればそうだけども。他には」 「足取りを究明するための目撃者は、まだ見つかっていないそうです。それと関係あるのかそうかわかりませんが。発見されたとき、粘液のようなもので濡れており、譫言で、溶けちゃうとか、イクとか繰り返してたようです」 うぐっ。 亜衣は、しぃっと口に指を当てると、すっと立ち上がった。そうーと、襖の前に立つと、一気に開け放った。 お、おっと声を上げながら小さな影が転がり込んでくる。 「鬼麿様」 「この、いたずら坊主。熱が下がったからって、まだ寝てなきゃだめでしょ」 鬼麿は、顔に手を当て泣き出す。 「いやじゃ。麿は、麿はもう寝てるのは、いやじゃ。それに外にも出たい」 「鬼麿様」 麻衣が心配そうに駆け寄る。亜衣は、駄々っ子の嘘泣きね、そう看破した。 「木偶の坊さん、木偶の坊さん」 廊下に出て保護者を呼びつける。 大男が、大股で渡ってくる。 「おお、若。ここにござりましたか。まだ寝ていなければだめぞなもし」 「いやじゃ。麻衣と遊ぶのじゃ」 きゃあ。麻衣の悲鳴だ。膝枕している麻衣の内太股に、手を差し込もうとしたのだ。 「このエロ餓鬼」 懲らしめようと、一歩踏み出した亜衣を、麻衣が目で制した。 「若、おイタが過ぎるぞなもし」 木偶の坊は、鬼麿を軽々と持ち上げ、駄々をこね続けるのを無視し、広間を辞していった。 「おねえちゃん」 「何」 「さっき、鬼麿様を叩こうとしたでしょ」 「当たり前でしょ」 「かわいそうじゃない」 「甘えやかしてはだめ。このままでは、いい大人にならないわ。それに鬼麿様が触らせてくれって言ったら、触らせてあげるの?」 「そ、それは」 即座に否定すると思っていたが、留保している。 「もういいわ、休みます」 言い捨て、亜衣は自室に戻った。 翌々日。三限目。歴史の授業で、教壇に桂が現れた。 「今学期から、皆さんの歴史の授業を受け持つことになりました、桂大介です。よろしく」 黄色い歓呼が方々から上がる。亜衣はやれやれといった面持ちだ。 「静かに。それでは始めます。前任の先生に依れば、平安時代からということなので。えーと、教科書67ページを開いて」 七九四年、長岡京遷都を中途で断念した桓武天皇は、新たに現在の京都市に、平安京を作った。京都は四神相応と言われる吉兆の土地だった。長岡京を捨てた理由は二度の水害とのことだが、一説では無実の罪で島流しとなった早良親王の怨霊を恐れてとの説もある。 「怨霊と言えば、それから約百年後の人物、菅原道真も有名だ。道真は宇多天皇の寵愛を受け、低い家柄の出身ながら右大臣まで出世した。が、思い上がって分を弁えず、朝廷を軽んずるようになった。醍醐天皇の御代となると国政を壟断して天皇を廃し、娘の夫である斉世親王へ譲位させようと画策した。しかし、それは露見し、時の左大臣藤原時平の温情をもって罪一等減じ、九州福岡の太宰府師(そち)、要するに長官へ左遷するだけで済ませたというわけだ」 亜衣は、わなわなと震える手を握りしめると、射殺すような眼差しを桂に向ける。が、意に介さないように桂は続ける。 「このように恩を受けたのにもかかわらず、逆恨みした道真は何かと境遇を恨む未練な歌を詠み死んでいった。それから怨霊となり、次々と藤原氏を取り殺したというわけだ」 「先生」 「えーと。天津君だったか。何かね」 「菅原道真公は、そんな人物ではなく、もっと高潔な方です。譲位の件も、藤原氏の支配の継続を目論む藤原時平がかぶせた卑怯な濡れ衣です。濡れ衣だからこそ、藤原氏や時の醍醐天皇が恐れ、北野天満宮や、その後、太政大臣の位などを贈ったのだと思います」 「まあそういう解釈もないではないが。しかし」 「しかし、なんです」 「君は見てきたように言うんだね」 何人かから笑いが漏れた。フンと息を吐いて、亜衣は席に着いた。 「では、話を戻そう。平安京は古代中国の唐の都・長安を模して碁盤の目の・・・・」 三限目が終わるやいなや、亜衣は教室を飛び出した。廊下で偶然麻衣に行き当たる。 「どうしたの、おねえちゃん。怖い顔して」 「なんでもないわ」 「だって。怒ってるじゃない」 「なんでもないったら、なんでもないの」 亜衣は、麻衣を振りきり走り去った。 |